ともに甲子園で日本中を熱狂させ、プロ入り後は球界を席巻、そして海を渡ってからも大活躍の2大エース。だが故障してからの2人の歩みには大きな差が。明暗を分けたものとは──。
「強がりでもなく苦しい時期はなかった。なぜかと言うと、そういう性格だからだと思います」
5月28日(日本時間29日)、658日ぶりにメジャーのマウンドに帰ってきたレンジャーズのダルビッシュ有投手(29)は試合後、そう語って微笑んだ。
この日、ダルは最速158キロをマークするなど、5回1失点7奪三振の力投で見事な復活劇を演じた。昨年3月に受けた靭帯移植手術(通称トミー・ジョン手術)からの“圧巻の復活”はなぜ可能だったのか。メジャーリーグ研究家の福島良一氏が指摘するのは、「球団のサポート」である。
「レンジャーズはブレーブスと並び、最もトミー・ジョン手術の経験者が多い球団で、リハビリ施設や情報が充実しているため、“早く”より“ベスト”で戻ることを重要視しました。メジャー屈指の左腕・ハメルズを獲得するなど、先発陣を豊富に揃えて、ダルの復帰に余裕を与えた」
リハビリはセラピスト・ディレクターのリーガン・ウォング氏が付きっきりで担当。復帰後にダルが「僕はリーガンが提供する以上のことはやらないと決めていた」と告白するほど、信頼関係は深かった。
一方、2007年に海を渡り、レッドソックスのワールドシリーズ制覇に貢献した松坂大輔(35)も2011年6月にトミー・ジョン手術を受けている。
昨年、福岡ソフトバンクホークスと3年12億円の大型契約を結んで日本球界に復帰したが、2年目を迎えた現在も一軍登板はなく、「給料泥棒」と囁かれる。手術が松坂の野球人生に大きな影を落としていると言わざるを得ない。福島氏は「松坂はチーム事情が悪かった」と言う。
「2012年のレッドソックスは先発投手陣が崩壊していたため、6月に急仕上げで松坂を復帰させたが、5試合に登板し、1勝もできず、7月に再離脱。当時はリハビリ期間を短くし、早期復帰したほうが復活に効果的とされていたことも松坂には不幸だった」
早期復帰の背景には「契約年数」の問題もあった。「松坂は6年契約の最後の年で焦りもあった」(福島氏)が、ダルビッシュの契約は来年まで残っており、復帰を急ぐ必要はなかった。
※週刊ポスト2016年6月17日号