家計を圧迫する介護費用や、徘徊老人による鉄道事故の賠償責任など、老いた親を持つ子供に降りかかるコストとリスクは大きな社会問題となっている。この難題に対し、新著『もう親を捨てるしかない』(幻冬舎新書)で「親を捨てる」という衝撃的な問題提起を行なったのが、宗教学者の島田裕巳氏だ。島田氏はこう指摘する。
「育ててもらった恩はあっても、果たして自分を犠牲にしてまで親の介護をする必要があるのか。根本から問い直す必要がある」
子供が親を捨てるのなら、“捨てられる側”の親はどうすべきなのか。島田氏は「とっとと死ぬこと」と言い放ち、自身の祖母の例を挙げた。島田氏の祖父は72歳で亡くなったが、祖母は89歳まで生きたという。
「89歳だった祖母は敬老の日の夜中に脳卒中でトイレで倒れ、寝たきりになってしまった。それまで元気だったので『こんな状態で生き続けても意味がない』と考えたのか、それからは食事も頑張って摂ろうとはしませんでした。
後になって私が思ったのは、“祖母は食べないで早く死ぬことを考えていたのかもしれない”ということです。当時は父も母も仕事をしていて、妹たちはまだ高校生と中学生。看護が1か月続いて家族に疲れが出てきた時期だったので、祖母は“とっとと死ぬ”ことを実践してくれたのでしょう」(島田氏)
島田氏は本の中で、日本尊厳死協会の前身である「日本安楽死協会」の創立者のひとり、産婦人科医の太田典礼氏が1969年に雑誌『思想の科学』で「老人孤独の最高の解決策として自殺をすすめたい」と、老人に自殺をすすめたことも紹介している。
近頃の日本は「終活ブーム」で、元気なうちから自らの葬式や墓、相続の準備にいそしむ高齢者も少なくない。
しかし、認知症や寝たきりになり、その状態が長く続けば、自らの意思通りに事が運ぶことはない。死んでしまえば、葬式は子供の意向に左右されるし、わずかな遺産を残しても兄弟で争うことになり、結果として「子供に迷惑をかけたくない」という思いは水泡に帰す。それゆえ島田氏は「終活はきれいごとにすぎない」と看破するのだ。
※週刊ポスト2016年6月17日号