大震災が起きると、いつも行政の対応が批判の的になる。曰く「被災者に情報が届かない」「役所は何をやってるんだ」といった形でだ。しかし、考えてみると、被災地の役所の職員も被災し、家族を抱え、眠れぬ夜を過ごしている。とくに今回の熊本地震は余震が長期にわたり、対応にあたる職員たちの疲労は限界に達した。
そんな厳しい状況の中、地震発生直後からSNSで、「被災地で何が起きているか」「いま、どんな支援物資が必要で、何がいらないか」の的確な情報を発信し続けた男がいる。
被災地・熊本から100km離れた福岡市の高島宗一郎市長(41)だ。彼のフェイスブックは数万人の人々にシェアされ、その呼び掛けに応じて必要な物資が福岡に集まり、いつのまにか「支援拠点」の役割を果たしていた。
決して危機管理の専門家ではない高島氏になぜ、そんなことができたのか。ジャーナリストの武冨薫氏が聞いた。
* * *
最初の地震が起きた4月14日夜、高島氏は会食中だった。福岡市でも震度4、地面が大きく揺れた。
「これは大きい。震源はどこ? 被害状況は? 誰もが同じことを感じたはずです。幸い、福岡市の被害は大きくなかったのですが、熊本は福岡に近く、市民には熊本に親戚や友人がいる人が多いので、こんなとき、みんな、被害の状況だけでなく、自分ができることはないかと情報を欲しがっています。
ところが、これは東日本大震災の時に学んだことですが、報道では被害の情報ばかりが流されていて、市民に『届く情報』と『知りたい情報』の間に乖離があり、そこにデマやうわさが入り込む余地があるのです。東日本の際はひとつひとつのデマを打ち消すため、正しい情報に訂正しなければなりませんでしたが、正確な情報が集まるのは行政ですから、今回は、市長である自分のところに集まって来る情報を、先手を打ってどんどん発信していこうと」(高島氏、以下「」内同))
災害発生51分後に高島氏はフェイスブックで「災害対策本部の設置」を報告し、次々に情報発信を開始した。しかし、震災の大混乱の中、現地の正確な情報を得るのは政府でさえ容易ではない。それを可能にしたのは、高島氏がただちに取った行動だった。
数時間後には福岡市から熊本県庁の災害対策本部に消防局の幹部をヘリで送り、翌日にも、熊本市役所に危機管理の担当職員3人を派遣したのだ。正確な被災情報が入るようになった。
「被災自治体は職員も被災しているから絶対的にマンパワーが不足しているはずだと考えました。だから熊本市の大西一史市長に連絡をとって『うちの職員をアドバイザーとして使って欲しい』と送り出したのです。相手からの要請? 有事にはそれを待っていては間に合わないですから。こちらの判断で派遣するプッシュ方式でした」