家族というものは、思い出のなかにこそあるのかもしれない。あの頃は父がいた、母がまだ若かった、自分たちは子供だった。家族は思い出のなかで輝く。
山田太一のドラマで確か竹下景子演じる母親が、子供とスーパーに買い物に行き、「こんななんでもないことでも、大人になって思い出すと懐しいものなのよ」と言ったが、家族の真髄をよく語っている。
「歩いても 歩いても」(2008年)「そして父になる」(2013年)「海街diary」(2015年)と家族の物語を作ってきた是枝裕和監督の新作「海よりもまだ深く」も、現代の、次第に壊れてゆく家族を描いていて、心に深く残る。
阿部寛演じる主人公の良多は、小説が書けなくなってしまった小説家。十五年前に一度文学賞を受賞したきり。その後、芽が出ない。無論、小説では生活が立たないから、いまでは興信所で働き、浮気の調査やペット探しの冴えない毎日を送っている。
世間体が悪いので「小説の取材のため」と言訳するのが悲しい。奥さん(真木よう子)は、愛想を尽かして、小学生の男の子を連れて去ってしまった。
阿部寛の冴えない男ぶりに共感する。世の中の多くの男は、自分がなりたかったようには生きてゆけないのだから。
良多を唯一、かばってくれるのが、樹木希林演じる母親。東京郊外の団地で一人暮しをしている。かつては輝いていた団地もいまでは寂れていっている。住人も高齢化して孤独死が見られるようになっている。良多の父親は最近、亡くなった。一人になった母親は、明るく気丈に暮しているが、やはり一人息子の良多のことは心配だろう。
かつての理想の住まいだった団地が、次第に寂れてゆく。それは、ばらばらになってゆく現代の家族の象徴になっている。
台風が近づく夜、良多は、別れた妻と子供と、母親の家に行く。かつてのように、カレーうどんを皆んなで作る。一瞬、良き時代の家族の姿がよみがえるが、台風一過の次の朝、またそれぞれの現実へと戻ってゆく。
もうあと戻りは出来ない。家族の思い出を抱えて生きてゆくしかない。
母親を演じる樹木希林が素晴しい。連れ合いを亡くした寂しさ、妻子に去られた息子への気づかい、そしてこの先への不安。誰もが必ず迎える老いを、飄々とした笑いのなかでやり過している。老いたら、こうありたい。
文■川本三郎
※SAPIO2016年7月号