【書評】『シェイクスピアの正体』河合祥一郎・著/新潮文庫/590円+税
【評者】鴻巣友季子(翻訳家)
シェイクスピア没後四百年の今年、蜷川幸雄が亡くなった。日本で沙翁劇の鑑賞が身近なものとして根付いたのは、まちがいなく蜷川演出の功績が大きい。シェイクスピア研究と翻訳の最前線にいる河合祥一郎による本書も、一般読者が大文豪に親しむための格好の一冊。著者はこの本の目的を「シェイクスピア学の《常識》をひっくり返す」ことだとしている。
シェイクスピアには、かねてより「別人説」と「複数人説」がまことしやかに伝えられ、とくに別人説(反ストラットフォード派)はかなりの権勢をふるっている。マーク・トウェインやチャップリンやフロイト博士も別人説の熱心な支持者だったそうだ。
こうした説が出てくるのは、ひとつに、シェイクスピアがあまり高くない階級の出身だから。ギリシャ語ラテン語も不得意で無学な田舎の青年が宮廷御用達の劇作家に成り上がり、王族や貴族を題材にした傑作を次々と書けたはずがない、というのだ。語彙数は三万語ぐらいあり、現代の一般的英米人の運用語数は三、四千語というから、ずば抜けて多い。
ところが、出世するのに苦労した形跡がない。蔵書もぜんぜん見つからない。原稿も残っていない。といったことから、「怪しい、本当の作者は別にいるのでは?」などの疑いに繋がった。別人としたらだれなのか?
しかも最初は名前の綴りが違い、「シャクスペア」だったという。この人物には、一五八七年九月から七年半ほど、公的な記録に空白がある。結婚して田舎で地味に暮らしていたはずが、次に姿を現すのは、ロンドンの宮内大臣一座なのだ。一体この間になにがあったのか? という文学史の「ミッシング・リンク」がことさら人々を魅了するようだ。
ある劇作家が非難した「成り上がり者のカラス」とはシェイクスピアのことなのか? 名探偵のような華麗な謎解きでミステリのように読ませる。文豪の戯曲を一作も読んだことがない読者でも、俄然興味がわいてくるはず
※週刊ポスト2016年6月17日号