熊本地震の被災地・熊本から100km離れた福岡市の高島宗一郎市長(41)は、積極的に熊本・大分への支援を続けている。彼のフェイスブックは数万人の人々にシェアされ、その呼び掛けに応じて必要な物資が福岡に集まり、いつのまにか「支援拠点」の役割を果たしていた。
そんな厳しい状況の中、高島氏は地震発生直後からSNSで、「被災地で何が起きているか」「いま、どんな支援物資が必要で、何がいらないか」の的確な情報を発信し続けた。
決して危機管理の専門家ではない高島氏になぜ、そんなことができたのか。ジャーナリストの武冨薫氏が聞いた。
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高島氏が市民に本格的な支援活動を呼び掛けたのは4月17日だった。支援物資を現地で足りない「ペットボトルの水」「トイレットペーパー」「おむつ」「生理用品」と未使用未開封の「タオル」「毛布」の6品目に絞り、学校統合で使われていない市中心部の旧小学校校舎に持参するようにSNSで発信。市民は行列をなして支援物資を提供し、教室ごとに品目を分けて収納することで仕分けも同時に進んだ。アイデアを出したのは、市民局の職員だった。
「熊本では支援物資をいったん陸上競技場に集めて仕分けしていました。この作業には大変なマンパワーが必要で、物資輸送のボトルネックになっていました。職員たちと被災地に負担をかけない方法はないかと話し合う中で、『小学校の廃校舎の教室を使って、品目別に集めよう』という意見が出て、それでいこう!と。熊本市と協議して、福岡市からの仕分けが完了している支援物資は中継施設を通さずに直接、避難所に届けるようにできました」(高島氏、以下「」内同))
ニーズは刻々と変わる。熊本市の大西一史市長から電話で、現地では毛布は余り、栄養補助食品とウェットティッシュが少ないと連絡が入った。だが、メーカーに頼んでも調達は容易ではなかった。それを乗り越えたのもSNSの力だった。
「コンビニで栄養補助食品などを買い、フェイスブックに『今はこれが不足している』と、夜に写真をアップしました。すると翌朝からすぐに市民から大量に集まった。これほど市民とシンクロした支援ができたのはSNSの威力です。胸が熱くなりました」
本震で被害が拡大すると、高島氏は消防など専門職員の他に、一般職員たちを最前線の避難所の支援に送り込む。
約100人ずつ、3泊4日で交代し、熊本市内で最も被害が大きかった東区の30か所あまりの避難所を担当した。ここでも徹底したのが、現地に負担をかけない「自己完結型」の活動だ。
派遣にあたり、熊本県内に職員全員の宿泊先を確保。また、派遣職員には避難所からの物資の要望が集約できる端末を持たせた。現地で足りない物資と数量を避難所運営の職員が打ち込むと、どこで何が足りないか、発送されているかどうかを本部を含めた全員が情報共有できるシステムだ。その情報でニーズ変化に応じて、栄養補助食品など不足物資を福岡市からダイレクトに届けることができたのである。
改めて問うた。なぜ、1人の市長、一自治体にそこまでできたのか。原点は、東日本大震災だったという。