写真家の山岸伸氏は、これまで2000人以上のアイドル、タレント、女優、歌手を撮影。手がけた写真集はなんと300冊以上に上る。数多くの「初グラビア」も撮影してきたトップカメラマンが、彼女たちの思い出を語る。
山岸氏が初めてアイドルを撮影したのは1980年代前半で、モデルはデビュー直前の安田成美。彼女にとってもこれが「初グラビア」だった。
「当時、何かと面倒をみていただいていた俳優の西田敏行さんが所属する青年座に彼女が入ってきました。頼まれて雑誌のグラビアで撮影し、その後1987年には初めての水着での写真集を出しました。彼女は女優を目指していて、本音では水着になりたくなかったんです。後にも先にも、水着を撮らせてくれたのは僕だけだと思いますよ」
この撮影が実現したのは、山岸氏と彼女との信頼関係がすでにあったからだ。安田は、1983年に映画『風の谷のナウシカ』のイメージキャラクターに起用されてブレイクしていたが、実は、彼女を推薦したのは山岸氏だった。そして、彼女は見事オーディションでグランプリに。
「尊敬している徳間ジャパンの三浦社長に、『この子を使ってもらえませんか』と売り込んだんです。あの頃は、ちょうど彼女が事務所を移ったばかりで人手が足りなくて、彼女のファンクラブは僕の事務所の中に作っていたんです」
山岸氏がアイドルを撮り始めて程なく、世はアイドルブームに。海外ロケの回数も急増し、5月の連休はグアム、年末年始はハワイというのが毎年の恒例行事となった。
「年末年始は、クリスマス前からハワイ入りして、1月12日ごろまでイエローキャブのタレントなど、現地入りしたアイドルを片っ端から撮影して写真集にしていました」
山岸氏の撮影スタイルは、「明るくきれいに、そして、短時間で」だった。1980年代後半になると、レースクイーンやグラビアアイドルの撮影が増えていった。そんな中で出会った一人に、飯島直子がいた。
「直子ちゃんは体がきれいなのはもちろんですが、性格もさっぱりして、とっても気持ちのいい女性なんです。その後、癒やし系の女王といわれるようになりましたが、当時からそんな雰囲気がありました」
そして世は「ヘアヌード」ブームを迎える。それまで、ヌードを撮ったことのなかった山岸氏にとって初めての撮影は、1994年の横須賀昌美。しかも、ヘアヌードだった。
「どう撮っていいかわからなくて、目のやり場に困っているのだからカメラマン失格ですね。機材は大型の『8×10インチ』という大判のカメラを持ち込む気合の入れようで、ドキドキしながら撮りました」
その後、ヘアヌードも次々撮影。葉山レイコやジャガー横田などの写真集を手がけた。
「ジャガー横田さんの撮影は思い出深いな。僕は淡々とシャッターを押すタイプなんだけど、彼女にとってはそれが冷たいと感じたようで、すごく怒り出して、あの時は困ったなあ(笑い)」
構成■西本公広
※週刊ポスト2016年6月17日号