【著者に訊け】小川糸氏/『ツバキ文具店』/幻冬舎/1400円+税
暮らす、食べる、出会う。2008年の話題作『食堂かたつむり』を始め、小川糸作品では自身愛してやまない生活が、物語を生む土壌になってきた印象がある。彼女自身が日々を愛しみ、丁寧に暮らす。だから作品もまた豊かで凛とした好ましい空気を纏うのである。
最新作『ツバキ文具店』の舞台は、海と山々に囲まれた古都鎌倉。実は自身も自宅を改装する際に同地に仮住まいした経験を持ち、住人にしかわからない四季の移ろいや人々の在り方、本当に美味しいものはどこにあるかまで、極上の鎌倉ガイドとしても機能する。
主人公の〈雨宮鳩子〉は今では珍しい〈代書屋〉を最近継いだ11代目。彼女が〈先代〉と呼ぶ祖母の死後、休業状態にあった店を細々と営む20代の独身女性だ。年賀状の宛名書きに恋文や絶縁状、亡き夫の〈天国からの手紙〉まで依頼は幅広く、文面や字体まで当人になりきって代筆したりする、憑依に近い激務である。一方当の鳩子はというと、厳しかった先代に未だ確執を抱え、過去の傷と今とを彼女はどう切り結ぶのか?
鶴岡八幡宮の鳩に因んで命名され、近所で〈ポッポちゃん〉と呼ばれる鳩子の朝の日課がまずいい。毎朝夜明けと共に起きてヤカンで湯を沸かし、その間に店先を掃き清めて家中の床を丹念に磨く。番茶で一服し、裏庭の〈文塚〉に水を供えたら、まもなく開店である。
ツバキ文具店は八幡様の脇を入った鎌倉宮の程近くにあり、大きな藪椿の木が目印だ。小学校にも近く、文房具は一通り扱うものの、先代は子供には鉛筆が一番と譲らず、シャーペンなど言語道断。よって大奥の右筆が初代とされる代書屋が、家出同然に出た町に久々に戻った鳩子の主な仕事だ。
「私も鎌倉にいた4か月は鳩子同様の日課をこなし、今もそう。朝早くに起きてお茶を淹れ、新聞を読み、それから仕事にとりかかる繰り返しで、毎日をきちんと暮らすことで、より心地よく仕事ができるんです」
いつも身ぎれいで明るく、男友達にもモテモテの隣人〈バーバラ婦人〉や、嵐の中、店先のポストに投函した手紙を回収したいと駆け込んできたスタイル抜群の小学校教師〈楠帆子〉こと通称〈パンティー〉。友人の借金を断わる謝絶状の依頼主で着物姿が粋な〈男爵〉や鳩子の最年少の友人〈QPちゃん〉など、登場人物の多くは渾名で呼ばれる。
「ちなみに帆子はハンコ+ティーチャーでハンティー、それがパン作りも得意なのでパンティーに転じたのが、一応の由来です(笑い)。
実際、鎌倉では皆さん、渾名の付け方がとても上手で、年齢も職業も関係なく、鎌倉市民というだけで繋がりあえる、つかず離れずの関係が素敵でした。鳩子とお隣のバーバラ婦人も会わない時は何日も会わないのに、『今日は陽気もいいから朝食を食べに行かない?』と誘いあったり、ご近所さん同士の潔さや間のよさを、家族小説とは違う形で書いてみたかったんです」