衝撃の全面広告だった。今から25年前の1991年10月13日、読売新聞に人気絶頂のアイドルのヌードが掲載された。宮沢りえの写真集『Santa Fe』の突然の発売告知である。
その日、出版元の朝日出版社には、問い合わせの電話が1分間に1000回鳴ることもあり、計30万本にも上った。撮影した篠山紀信氏は、当時こう語っている。
「(それまでのヌードは)陰の部分、後ろ暗いものがあった。でも宮沢りえさんのヌードには全くない。つまり、『あっけらかんのすっぽんぽん』なのです」
売れなくなったから脱ぐ──。1980年代までヌードには「陰」の印象が強かった。その流れを変えたのが、宮沢と樋口可南子だった。
『Santa Fe』が発売される10か月前、NHK大河ドラマ『太平記』に出演中の樋口は写真集『water fruit』でヘアを露出。警視庁は「再度発行すれば、摘発の対象となる」と口頭で警告を発したものの、回収には至らなかった。
当時の出版社を取り巻く空気感を、過去に200冊以上の写真集を制作した編集者が振り返る。
「樋口の一件で、ヘアを載せても大丈夫そうだと感じました。そして、お咎めのなかった宮沢の例で、ヘアは問題ないと各社が確信しましたね」
最終的に樋口55万部(推定。以下同)、宮沢は155万部の大ヒット。社会現象になった。
「1991年の書籍売上高は9.1%も上昇し、1990年以降で最も高い伸び幅です。単価の高い2人の写真集が売れたことが大きな要因です」(植田康夫・上智大学名誉教授)
かくして、ヘアヌード写真集のバブル時代が到来する。1992年には島田陽子が55万部、1993年には石田えりが25万部、山本リンダが16万部、辺見マリが15万部を記録。熟女のヘアに世間は狂喜乱舞した。石田の写真集は、世界的巨匠であるヘルムート・ニュートンが撮影。制作には惜しげもなく資金が投じられた。
「今と比べると、予算は5倍以上。初版5万部なら、制作費1000万円以上のこともよくあった。なかには、アタッシェケースに詰め込んだ現金1000万円を見せて、ヌードにならないかと女優やモデルを口説きにいく出版社もあったそうです」(前出・編集者)
※週刊ポスト2016年6月24日号