もうすぐ父の日。あなたはどんな思いでこの日を迎えますか──。2012年4月に64才で亡くなった安岡力也さん。その息子である安岡力斗さん(30才)が、父への思いを語る。(取材・文 『親のおくり方』著者・根岸康雄さん)
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安岡力也という男を演じきった、それがぼくの父親だったのではないか。
「おれはイタリアンマフィアのせがれで、日本人のおふくろとの間に生まれた。親父はマフィアの抗争で命を落とした」
父親のそんな話を、ぼくは今も疑っていません。身長約190cm、体重100kg以上。眼光鋭く強面な父で、若い頃は20リットル入りのペール缶に酒を満たし、山城新伍さんたちと飲み比べをしたとか。数々の武勇伝は“無頼漢”という安岡力也のイメージを、自分で演出したのかもしれません。
親父はサービス精神旺盛でもありました。学校行事の餅つき大会で父母たちに頼まれ、隣のクラスで一生懸命に餅をついていた親父の記憶があります。
また、女性にモテた親父でした。
「力也はとにかく女性に優しかった」と、父の仲間は口を揃えます。
両親の離婚も、親父の女性関係が原因だと、中学生のぼくにも想像できました。
「おれはパパについていくよ」と母親に言ったのは、ぼくがいなくなったら親父はさぞや寂しがるだろうと思ったからです。
一方、親父の体を蝕む病魔は、長年の暴飲が原因です。2002年にはC型肝炎を患い、難病も背負いました。「しょうがねえよ」と、重い病気もかすり傷程度に振る舞っていましたが、やがて肝細胞がんも患った。
「力斗の肝臓がおれにいちばん適している…」
電話で親父に生体肝移植を相談され、即座に承諾したのは、おじいちゃんはイタリアンマフィアだと聞かされて育ち、親父とはマフィアの親分子分のような信頼関係だったからです。長生きしてもらって、親孝行したいという思いがあったのです。
親父も、かわいい息子の肝臓をくれとは、言い難かったと思う。でも、何よりぼくのために、親父は生きたかったのです。ぼくの肝臓の64%を親父に移植した術後、主治医から手術の傷は消せると言われましたが、腹の傷は親父との絆の証。ぼくは生涯残しておくつもりです。