西の空が茜色に染まる夕暮れ間近の午後7時。新潟県佐渡市竹田にある大膳神社の境内で薪に火が入り、現存する佐渡最古の能舞台が橙色に浮かび上がる。毎年5月から10月にかけて行なわれ、6月にピークを迎える各集落での「薪能」の始まりである。
室町時代に能の基本的な形を完成させ、観世流を確立した世阿弥が配流された佐渡島。かつて島内には200の能舞台があったとされ、今も30以上が残り、その数は国内の3分の1を占める。だが、能を広めたのは世阿弥ではない。
「佐渡金山が発見されたことで、徳川幕府は佐渡を直轄地とし大久保長安を佐渡奉行に任じた。能役者の家系だった大久保は島で能を催し、その後、集落ごとに神事として奉納され広まったと思われます」(能楽研究家・齋藤達也氏)
佐渡の能は、そこに暮らす人々の生活と密接に結びついている。
「農作業の合間に謡の練習をし、お祭りや祝い事で披露するなど、佐渡では能が生活の一部。真野地区には舞方も囃子方もいて、集落の人間だけで能ができる。素朴で温かい、素人ならではの味わいが自慢です。年寄りにとっても、能は生き甲斐になっています」(真野能楽会・安達忠雄氏)
島民が舞台の床板を磨き、芝に桟敷を設け、集落一丸となって作り上げる。佐渡能楽倶楽部副会長の永田治人氏も、「作り物や着付けなどそれぞれの技術を代々引き継ぎ、集落で能楽を守ってきました」と語る。
「佐渡には『舞い倒す』という言葉があります。能で身上を潰すという意味で、それほど人々は没頭していました」(諏訪神社で名曲『熊野』のシテ〈主役〉を演じた宝生流師範・神主弌二氏)
江戸の世から400年あまり。佐渡の能は、日々暮らす人々の心の拠り所となってこれからも大切に受け継がれていく。
撮影■太田真三 取材・文■渡部美也
※週刊ポスト2016年7月1日号