【書評】『追憶のほんやら洞』/甲斐扶佐義 編著/風媒社/1800円+税
【評者】坪内祐三(評論家)
京都の今出川通りに「ほんやら洞」という伝説的な喫茶店があった。あった、と書いたのは二〇一五年一月、放火によって焼失してしまったからだ。私がこの店の存在を知ったのは大学二年の時(一九七九年)、片桐ユズルの『ほんやら洞の詩人たち』(晶文社)に新刊で出会ってだ。
同じ頃、京都の大学に通う友人の所に遊びに行き、界隈を散策していたら、これが「ほんやら洞」と言われたけれど、中に入ることはなかった。以来、同じ甲斐扶佐義が主人をつとめる「八文字屋」には何度か通ったものの、「ほんやら洞」には一度も入ったことがない。
「ほんやら洞」に行っていたらツボちゃん絶対にケンカしていたよと言われたことがあるが、なるほどこの一冊に「追憶」を寄せている顔ぶれを眺めていると私と肌の合いそうもない人もいる。しかし、そういう人たちであっても、「追憶」はめっぽう面白い。
「ほんやら洞」は民間による文化拠点で、客は二代三代にわたる。そして、甲斐扶佐義は同志社大学時代に鶴見俊輔に学んだからベ平連系でもある。
例えば北海道大学教授の渡辺浩平は、「私が甲斐さんの名前をはじめて聞いたのは、荻窪にあった叔父の家でした。叔父の室謙二は、母の年の離れた弟です」と述べ、塾講師の飯田朔はいいだももの孫で、二人共、「ほんやら洞」の二階に泊めてもらった経験を懐しそうに「追憶」している。
「ほんやら洞」と並ぶ京都の文化拠点にジュンク堂書店向いの路地にある徳正寺があって、「ユーモアと叛骨精神」という一文を寄せている扉野良人はその徳正寺の息子さんだ。
「ほんやら洞」の前史を知るには中川六平著『ほびっと 戦争をとめた喫茶店』(講談社 二〇〇九年)に目を通すと良い。甲斐氏と中川氏は同志社大学時代からの友人で中川氏の出版記念会が徳正寺で開かれた時、両氏にはさまれた私が大声で別々の話を聞かされたのも今では懐しい
※週刊ポスト2016年7月1日号