2016年5月27日、現職のアメリカ大統領として初めてとなるオバマ大統領の広島訪問が実現した。イラクやシリアでの医療支援を続けている鎌田實医師は、この広島訪問から、新しい何かが始まるのではと期待を寄せている。
* * *
1か月前、原爆投下後初めて、アメリカ大統領が広島を訪問した。原爆を投下した国のリーダーと、落とされた国のリーダーが慰霊碑に向かって、まっすぐに歩んでいく。献花した慰霊碑のアーチの先には、原爆ドームがそびえている。
「71年前、雲一つない明るい朝、空から死が落ちてきて、世界は変わった」
注目のオバマ大統領のスピーチは、美しい詩のような一節で始まった。美しい一節ではあるが、主語がはっきりしない。アメリカでは、「原爆投下は、戦争を終わらせるために必要だった」という考えが長い間、多くを占めてきた。
アメリカ国民にとって、特に退役軍人らにとって、原爆投下を「非人道的」と認めることは、今も大きな抵抗がある。オバマ大統領は、そんなアメリカ国民の目をはっきりと意識していた。
今回のオバマ大統領のスピーチは、いろいろなところに配慮されたうまい演説であったが、まるで他人事のように聞こえなくもない。
「我々は世界中で銃やたる爆弾などの武器でおそるべき暴力をもたらしている」と言っているが、その暴力の主体となっているのはアメリカであり、そこで甘い汁を吸っているのはアメリカの兵器産業である。
過激派組織「イスラム国」などが持っている武器も、アメリカやヨーロッパから渡り、紛争が絶えない現実を作り出している。
2009年、オバマ大統領のプラハ演説は、原爆を使用した唯一の国の責務として、核廃絶を訴えた。格調高いこの演説で、ノーベル平和賞を受賞したが、一方で核兵器の近代化・開発に30年間で1兆ドルの予算を承認した。包括的核実験禁止条約(CTBT)も批准していない。
米ソ冷戦時代と比べれば、核軍縮は進んだが、現在も世界中に約1万6000の核弾頭が存在しているといわれる。声高に理想を叫んだだけでは、核の下の危うい均衡から脱することができない。ノーベル平和賞は空手形となり、国内外で批判を呼んだ。
だが、オバマ大統領は、広島でもこう繰り返した。
「私の国のように核を保有している国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求する勇気をもたなければならない」
広島訪問にも、大統領権限として核攻撃を許可できる「黒いブリーフケース」を伴っていたことは、大いなる皮肉である。そして、日本も、アメリカの核の傘から抜け出られない、抜け出たくない矛盾を抱えている。