舛添要一・前東京都知事(1948年生まれ)の辞任騒動をはじめ、その前任の猪瀬直樹氏(1946年)、首相の座にまでのぼりつめた菅直人氏(1946年)、経営者では東芝元社長の佐々木則夫氏(1949年)など、ここ数年の間に「団塊エリート」たちの失脚が相次いでいる。印象的なのは彼らが落ち目になるや、誰も助けようとしないことだ。
挫折したのは団塊エリートだけではない。内紛の末に会長の座を追われたセブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文・名誉顧問(1932年)、燃費データ不正問題への対応に追われるスズキの鈴木修・会長(1930年)など、「プレ団塊世代」の経営者たちも苦汁をなめた。
それでも団塊エリートとは違い、彼らがいまなお尊敬を集めているのはなぜなのか。経済ジャーナリストの片山修氏が語る。
「鈴木敏文氏らは戦争を知っている『戦中派』だから、いい意味で戦い続けることを知っている。だから強い。松下幸之助(1894―1989)、本田宗一郎(1906―1991)もそうだが、戦前戦後を知る世代には日本の復興という使命感があり、だからこそ信念を持って夢を追い求める経営者が多かった。
それに対して団塊世代の経営者は、内向きで社内の仲間に勝つことばかり考えてきた。だから尊敬されないんです。東芝の佐々木氏はバブル期のイケイケドンドン体質が抜けず、利益追求主義に走って無理なことを続けてしまった。攻めには強いが守りに弱く、すぐに保身に走る。これも団塊エリートの特徴だと思います」
政界でも、石原慎太郎氏(1932年)、森喜朗氏(1937年)、野中広務氏(1925年)らプレ団塊世代の政治家たちは、失脚・引退した後も「ご意見番」として君臨している。
同じ「焼け跡世代」の政治評論家・屋山太郎氏は、こう解説する。
「私たちの世代は『やせガマン』するんです。焼け出されてスッカラカンになったけど、だからこそ物事に執着しない。考えても仕方がないことは諦める、そういう潔さがある。それは元をたどれば武士道です。
舛添さんや菅さんを見ていると潔さがまったく見られませんね。すべて他人のせいにして責任を取らない。それでいて権力にしがみつくのも共通しているように思います。森さんも、首相を辞任する時の引き際だけは良かった。だから第一線を退いても人望だけはあった。舛添さんみたいな辞め方だと、ついてくる人はいないでしょう」
人望だけで東京五輪組織委員会会長を続けているとしたら、ある意味、たいしたものである。
※週刊ポスト2016年7月8日号