声優でタレントの大山のぶ代さんが老人ホームに入居したという。認知症の大山さんを自宅で介護してきた夫で俳優の砂川(さがわ)啓介さんに尿管がんが見つかり、入院が必要になったことから生活の場を移すことになったそうだ。夫婦にとって結婚52年目の初めての別居生活。砂川さんにとっては苦渋の決断だったという。
介護関連のさまざまなニュースが連日伝えられているが、こうした芸能人の認知症告白やその介護体験をメディアはどう映し、世間はそれにどう反応してきたのだろうか。
80年代、詩人画家の星野富弘氏による『愛、深き淵より―筆をくわえて綴った生命の記録』(立風書房 1981年)や、のちにドラマ化・映画化もされた『1リットルの涙-難病と闘い続ける少女亜也の日記』(木藤亜也著 エフエ-出版 1986年)などノンフィクションの中でも「闘病記」がメジャーになってきた。そんな流れの中で、歌手の橋幸夫さんが認知症の母親を自宅で介護したノンフィクション『お母さんは宇宙人』(サンブリッジ)が1989年(平成元年)に刊行された。妄想、幻覚、徘徊……人格者で気丈だった母の変化をありのままに書いたこの記録は大反響を呼び、わずか1か月で5万部を売り上げるなど、時のベストセラーとなった。
それ以後、例えば、生島ヒロシさんが、半月板損傷がきっかけで歩けなくなり認知症を患った義母を家族と手探りで介護した『おばあちゃま、壊れちゃったの?-ボクと妻の老親介護-』(三笠書房)、女優の南田洋子さんが、脳出血ののちに認知症になった義父の介護を14年間続けた記録『介護のあのとき-嫁、妻、女優の狭間で-』(文化創作出版)など多くの著名人の介護奮闘記が出版され、いずれも関心を集めてきた。
そんな体験談の「告白」の場は時を経て、テレビへと移っていく。2008年10月、俳優の長門裕之さんが、妻・南田さんの認知症について『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で初めて語った。しかし、目で追う「活字」と、耳で聞く「言葉」の違いだろうか、長門さんのもとには「勇気ある告白」という声が寄せられた一方、「夢が壊れるから辞めて欲しかった」「義父の看病をした気苦労が南田さんを認知症にさせた」「高齢者が高齢者の介護をするなんてつらすぎて美談にならない」など批判が沸いた。その1か月後、同系のドキュメンタリー番組で南田さんの自宅での様子が放映されると、さらにバッシングはエスカレート。「無残な姿を売り物にしている」「認知症患者の人権はどうなる?」「介護保険を使わないお金持ちにしかできない介護」などと糾弾が相次いだ。
そんな声に対して長門さんは当時、「それらはぜんぶ正論。俺をバッシングする意見があればそれも正論。すべてにおいて反論はしない」(「週刊金曜日」2009年 6月26日)と言葉を飲み込んでいる。
2009年に南田さんは他界。その2年後の2011年、その南田さんを追うように長門さんも亡くなったあと、長門さんと親交のあった黒柳徹子さんはテレビ番組で、彼が愛妻の認知症を公表した理由として「なるべく外へ妻を連れ出したいが、病名を隠したままだと行く先々で『どうしたの?奥さん』などと聞かれ、その度に病状のことを説明しなければならない。世間に公表すれば周りも理解してくれて、温かく見守ってくれるから」と語っていた。
それからさらに時が過ぎ、現在、同じく妻の認知症を吐露した砂川啓介さんにはおおむね賛辞の声が多い。他の有名人の告白や、それをまとめた出版物も相次いでいる。
それは有名無名や発症年齢問わず、認知症がさらに日本の喫緊の課題になってきているからだろう。2015年1月の厚生労働省の発表によると、日本の認知症患者数は2012年時点で約462万人と推計されている。これが2025年には700万人を突破すると言われる。
来るべき「大量介護社会」を映す鏡として、有名人の認知症告白、そしてその介護体験にはますます大きな意味を持ってくる。もちろん、実際に認知症を患い、言い知れぬ不安を抱える当事者、またその介護をしている人々の「こころの道しるべ」となっていくことだろう。ただし、共感を得るためだけに介護経験は語ることは、私見ではあるが慎んでもらいたいところだ。
(文・内堀隆史 放送作家・ライター。『誰だって波瀾爆笑』(日本テレビ系)など)