男にとって生まれて最初に接する異性である母の愛のありがたみは、遠く離れてみて初めて気づくことがほとんどだろう。「瞼の母」の思い出を、落語家の三遊亭円楽(66)が語る。
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母ちゃんはずっと働いている人だった。食事をしているとか、横になっているという姿が記憶にないほど。
父ちゃんは仕事があんまり好きじゃなくて、世話好きでね。いつも家には居候がいた。金もないのに人の世話をして、働くことも金の工面も、全部母ちゃんが後ろでやっていた。苦労したんだよ。
でもね、写真を見ればわかるけど暗い顔をしていない。明るいの。あっけらかんとしていた。ないもんはしょうがねぇって。
ウチの師匠(故・五代目三遊亭圓楽)は母ちゃんが好きだった。「おめぇの母ちゃんは下町らしいな。おしゃべりでお調子もんだ」「やですよ、師匠」なんてね。俺も、酒好きでおしゃべりなところは母ちゃん似だね。
でもおしゃべりと言っても口うるさいわけじゃないんだよ。
俺が小学生の時に浅草のデパートでブリキのおもちゃを万引きしちゃって一緒に謝りに行ってくれたんだけど、その時も多くは語らない。見せるんだよね。「こいつがバカですみません」って頭を下げる。親が泣いて謝るのを見たら、もうしちゃダメと判る。
だから、すごく叱られたこともない。「私は何もしなかったよ、この子には」と前に言っていたことがあったけど、確かに放任だった。
でも節目、節目の肝心な時にはいつも親が背中を見せてくれた。『藪入り』『子別れ』といった噺をやると親が見えてくるよね。投影すると、こうなっちゃうもん(涙が出るポーズ)。
●さんゆうてい・えんらく/東京都生まれ。1970年、青山学院大学在学中、五代目三遊亭圓楽に入門。1977年、27歳で『笑点』大喜利メンバーに。1981年、真打昇進。2010年、三遊亭楽太郎改め、六代目三遊亭円楽を襲名。
※週刊ポスト2016年7月22・29日号