参院選や東京都知事選が迫っているが、「モラルのない政治家たちに国民はもっと怒るべき」と指摘するのは、ジャーナリストの落合信彦氏だ。
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かつてゴルバチョフ政権で外相を務めたエドゥアルド・シェワルナゼは、私のインタビューに対し、「政治家は血の通った人間であり続けなければならない。政治とは人間なのです。人間性なのです」と語っていた。ところがいまは、「政治とはカネだ」という思想に囚われている議員ばかりになってしまった。
メディアの罪も大きい。大手新聞社の社長や幹部たちは安倍との会食を重ねている。「総理大臣とメシを食っている自分」に酔っているのだろうが、権力を監視すべき役割のメディアのトップが仲良く一国のリーダーと食事をするなど、他の先進国ではありえない。
国民が投票の際に判断材料にすべき「安倍政権の検証」も、メディアはまったくやっていない。どんな政策目標を掲げ、どれだけの予算を使ってどんな成果が得られたか。あらゆる企業で当たり前に行われている検証作業が、一切なされていないのだ。
もっと言えば、メディアは、国会議員一人ひとりが任期中に何をしてきたか、どんな発言をしていたか、国会でどんな議論をしていかなる成果を得られたのか、徹底的に検証し、国民に伝えるべきだ。
そうすれば、ほとんどの議員が、国会に出席していても海外視察を繰り返していても「何の成果も得られていない」ことが一目でわかるだろう。現職の政治家を選挙で全部落とせば、少しはキレイになるはずだ。
メディアだけではなく、国民自身の責任も指摘しておかなければならない。もしアメリカだったら、「違法性はないから辞任しない」などといった舛添(要一)に対しては、都議会であんなに揉めるまでもなく市民に怒りが広がり、都庁がデモで取り囲まれ、あっという間に辞任に追い込まれただろう。
甘利(明)秘書が不起訴になったことも同様だ。いつの間にか、日本国民は政治屋に対して大甘になってしまった。
沖縄北方担当相の島尻安伊子が「歯舞群島」の「歯舞」を「ハボ……えーっと、何だっけ」と読めなかったことについても、国民はただ笑っているだけで、辞めさせようという動きにはならない。本来なら「そんな教養も素養もない人間に国民の未来は託せない」と辞めさせるべきだろう。
国民は、こんな政治にもっともっと怒るべきなのだ。
※SAPIO2016年8月号