役所に書類を出す時も、車や家を買う時も、遺産相続の手続きにも必要な「ハンコ」──。電子取引・電子申請が普及しても、なぜかなくならない。りそなHDや千葉市など、各所で脱ハンコ論議も出たが、「廃止」にまでは至っていない。
実は、国レベルで「ハンコ廃止」が俎上に載せられたことがある。その議論の辿った経緯は興味深い。
1997年、自民党行政改革推進本部は各種申請・届出の電子化やペーパーレス化の推進のため、「押印見直しガイドライン」を決定、政府に申し入れた。資料閲覧や施設利用の申込書、履歴書、住所変更届など、押印を求める必要性が乏しいと考えられる書類について、「記名のみ」にしようという内容だった。ところが、これが印章業界の猛反発を受ける。
全国で反対の署名運動が起き、特に手彫り印鑑の生産量日本一を誇る山梨県の印章業組合連合会は激しい“闘争”を繰り広げた。連合会会長経験者が振り返る。
「見直しとなれば、県の印章業界は壊滅的打撃を受ける。その危機感があったから、県選出の代議士らに『押印見直し反対』の陳情を20回以上繰り返し、3万5000人分の署名を自民党行革本部に提出した」
業界挙げての反対運動は実を結んだ。別の組合関係者が語る。
「陳情を受けた国が調べ直したところ、ハンコをなくすには膨大な量の法改正が必要だと判明したのです」
実際、各種法律に「押印」が出てくる例は数え切れない。たとえば刑事訴訟法では召喚状や勾留状について、〈裁判長又は受命裁判官が、これに記名押印しなければならない〉とあるし(63条、64条1項)、地方自治法では一般競争入札などに基づく契約を結ぶ際、自治体の首長らが〈契約書に記名押印し〉なければならないと定めている(234条5項)。
結局、「当初の見直し対象の7割以上でハンコを使う手続きが残された」(前出・組合関係者)のである。
※週刊ポスト2016年7月22・29日号