ジャーナリスト、宮下洋一氏によるSAPIO連載「世界安楽死を巡る旅 私、死んでもいいですか」。先進国の中でも、日本とフィンランドに次いで自殺が多いベルギーでは、精神病患者の最期の選択肢として安楽死が認められ、近年増加している。49歳の若さで30年以上にわたる躁鬱病生活に安楽死により終止符を打った男性・クン・デプリックのパートナー、ミア・フェルモン(53)とその娘セリーナ・ブランデル(17)が、どのようにして安楽死を見守ったかについて宮下氏がリポートする。
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クンは、ミアの知り合いで安楽死を扱うティンポント女医との診療を開始する。過去の精神病歴から、自殺未遂経験、家族関係が綿密に調べられていく。彼女のほか、セカンドドクターの診察も受け、クンの病気は「耐えられない痛みを持つ」ことと、「改善の見込みがないもの」と診断された。
つまり、安楽死の条件を満たしている。精神病患者が安楽死するための条件は、一般的にあまり認識されていない。精神病患者の場合、「耐えられない痛み」と、「改善の見込みがない」という基準が理解され難く、人それぞれの解釈が大きく異なる。だが、この取材を続け専門家たちに会うなかで私が学んだ特徴は以下の点だった。
1)10代の頃から精神病院に何度も通うが治らない、2)自殺未遂の経験が数回ある、3)セロトニン(*)が足りないという生物学的な問題
【*神経伝達物質の一つ。人の感情や精神面に影響を持つとされている】
後日、ティンポント女医に取材したところ、クンは、安楽死の条件をすべて満たしていた。クンの家族は、どんな反応だったのでしょうか? ミアは、すぐに答える。
「父親はすでに他界しています。母親は、当初、安楽死は断固反対の立場を貫きました。彼のお兄さんも妹2人も、『クンを殺す気だ』と、医者を殺人者扱いしていました。でも、最後は、ティンポント女医の誠実な説明を受け、全員が受け入れましたね」
ミアは、女医がクンの家族にこう言ったことを記憶している。
「クンは刑務所の独房生活をしているようなものです。彼はそこから解放されたい。彼にとって死は、自由と平和を手に入れることなのです」
当時、14歳のセリーナは、クンの選択を、どう捉えたのか。
「食事中のテーブルで、2人の様子がおかしかったのを覚えています。気まずくなって私が席を立って、部屋に行ったんです。実は、その時、私はその後の2人の会話をこっそり聞いていました。詳しくは覚えていないのですが、どうもクンが命を絶つような話でした」
直後、クンは、セリーナをテーブルに呼び戻し、安楽死の決意を明かした。当時はまだ「普通に生きている人がなぜ死ぬのか分からなかった」というセリーナは、無理矢理自分を納得させた。
ミアとクンの2人は、安楽死の2週間前、ベルギーとの国境沿いにあるフランスの町、コート・ドパールの小旅行に出かけた。やせ細ったクンではあったが、安楽死が許可された後の様子は別人のようだった、とミアは言う。
「笑顔が絶えなかったですね。旅行中は、ずっと冗談を言って、私を楽しませてくれました。海を散歩しているクンの表情には、しばらく見ていなかった落ち着きがありました」
肉体的、あるいは精神的、または両方に苦しむ人たちが、死を目前に見せる独特の表情だ。私がこれまで出会ってきた多くの患者も「死ねると分かった瞬間にホッとする」と語っていた。こうした話を聞く度に、私は、物事を禁じることが、時には、大きな矛盾を生み出していることを学ばされる。
セリーナは、クンが安楽死を行う前夜、ヘントに住む叔母の家に連れて行かれた。クンとは「さようなら」の簡単な別れを告げただけだった。