「孝行のしたい時分に親はなし」というが、男にとって生まれて最初に接する異性である母の愛のありがたみは、失ってみて初めて気づくことがほとんどだろう。母との思い出を、ラジオ番組で「ババア!」などと元気に呼びかけ人気の俳優・毒蝮三太夫(80)が語る。
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俺のおふくろは昭和48年に75で亡くなっているんだけど、前に美輪明宏さんから「あんたの背中には背後霊のようにお母さんがついているわよ」って言われたことがあるんだよ。慈母観音がいるんだってさ。仕事が順調にいっているのも、守ってくれているおかげらしいんだ。あんなおふくろでも俺を守っているのかね。
料理はからっきし下手で人付き合いが大好き、おしゃべりが大好き。親父が帰ってきたってしゃべりに夢中で、料理なんか作りゃあしない。ろくなおふくろじゃなくて、(故・立川)談志には「落語に出てくる以上の親だな」っていわれたよ。
料理が作れないから談志が遊びに来た時も刺身をとるんだけど、経木のまま出しちゃう。それを見て談志が「おまえのおふくろはすごいよ。皿に移さないで経木のままで出すよな」って。
でもおふくろにとっちゃあ、それが当たり前なんだよな。「よく親父が黙っているよな。普通あんなことをすれば離婚だ」って。あんなんで離婚なんだ、と驚いていたら「“協議”離婚だぞ」って、さすが落語家だよ。俺がテレビ局でもらった食べ残しの弁当を、翌日にそれまた経木のまんま客に出したりしてさ。そんなおふくろだったね。
中学の修学旅行には仲良い友達を連れて、ついてきた。病弱な息子が心配だからとかじゃないんだよ、「あたしが行きたかったから」だもん。記念写真にもしっかり写っているよ(笑い)。俺は別に不思議じゃなかったけど、まぁ自分勝手だな。
でも息子はかわいがったんだね。雨が降った日に傘を持たずに出かけたら、よく駅へ迎えに来たよ。高校時代かなぁ、「(本名の)伊吉ぃ、ここだよぉ」なんつってね。当時は電話がないから、何時間も待ったんじゃないかな。
顔が似ているからっておふくろは親父をゴリラと呼んで、親父はおふくろを狸ババアと呼ぶだろ。だから俺も狸ババアと呼んで、お母さんって言ったことがない。テレビも最初は本名で出てたけど、『笑点』で談志が俺を「毒蝮」と名付けたもんだから、動物一家になっちゃった(笑い)。ロクなもんじゃないよ。