男にとって生まれて最初に接する異性である母の愛のありがたみは、遠く離れてみて初めて気づくことがほとんどだろう。現在92歳となった母の思い出を、ジャパネットたかた創業者の高田明氏(67)が語る。
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父のカメラ好きが高じて夫婦で写真屋を開き、それがカメラ店「カメラのたかた」となって、僕らきょうだいも入ったわけですが、商売を支えていたのは母の存在。おふくろの実家は平戸で古くから商家をしていて、根っから商売人の感覚を持っているんです。
店では近所のお年寄りが来たら、さっと椅子を出して何も買わなくてもにこにこ世間話をする。おふくろのそういう姿をみてきたから、挨拶やお年寄りを敬う心は自然と身についた。僕はやりすぎるくらい社員に声をかけますが、それも母譲りなのでしょうね。
父は地域で写真クラブを作って仲間が大勢集まりましたが、その時もお茶を出したり、下げたり、声をかけたりと、八方きめ細やかに目を配ってね。多趣味な父でしたけれど、“三丁目の夕日”のように仲間を助けてきたのは母。
僕の友達もよく泊まりにきていたのですが、おふくろが世話好きでしょう。高校や大学の友達が67になった今でもみんな、「おふくろさんに会いたい」と言って、電話をかけてきてくれますよ。
おふくろらしいのは、高倉健さんとのエピソードです。映画『あなたへ』の舞台が平戸だったので、会いたいと言って娘夫婦と撮影現場へ出かけてね。
もちろん簡単に会えるわけはないのですが、たまたま健さんが近くへ歩いてきたらしいんです。おふくろは駆け寄ると10分も15分も立ち話をして、しまいには健さんと肩を組んで写真まで撮っちゃった(笑い)。
「高倉健さんが車まで送ってくれて、握手したとよ!」
と、それはもう喜んで。写真は額に入れて飾ってありますが、90のばぁちゃんの勇気やポジティブな姿勢でこんなに素敵な写真が撮れたんだなって。
おふくろは好奇心旺盛で、色々なことに関心がある。スポーツも大好きで、錦織圭選手のテニスの中継を見て、「すごいね!」と夜中に電話がかかってくることもあるんです。
まだまだ長生きをしてもらって、一緒に東京五輪を見たいですね。
●たかた・あきら/長崎県生まれ。1986年に父親のカメラ店から独立し、1999年に社名を『ジャパネットたかた』へ変更。通販業界で活躍するも2015年1月に社長を退任し、現在は講演やメディア出演などを中心に活動する。
※週刊ポスト2016年7月22・29日号