上杉謙信と武田信玄といえば、「川中島の戦い」で激しく争った日本史上に残る好敵手同士。今回、両家の直系子孫である上杉家第17代当主・上杉邦憲氏(73)と武田家第16代当主・武田邦信氏(68)の初対談が実現。世に飛び交う謙信・信玄に関する俗説について、現当主の見解を尋ねた。
〈両雄ともにまことしやかに囁かれる俗説がある。「実は謙信は女性だった」という説に「信玄は病人で今に残る絵姿などは、すべて影武者のものだった」というものだ〉
上杉:『女性説』はよく言われることですが、我が家に伝わる史料から見てもありえません。
武田:信玄公の『病人説』については事実の部分もありますよ。
上杉:本当ですか!?
武田:信玄公は実際に労咳で亡くなっている。川中島の時はわかりませんが、亡くなる数年前からは本当に病気だったと伝えられている。勝頼公が武田家を継ぐと言っても、側室の子でしたから統率が取れていない。だから自分が動ける間に敵を排除しておきたかった。それで三方ケ原で徳川を叩いて、さあ次は織田という時に、志半ばで亡くなってしまった。だから、あの銅像も実際のお姿だったのかどうかもわからないですね。
──謙信は「不犯」を掲げ、生涯女性と交わらなかったという伝承があり、信玄は性豪とも言われる。その血は受け継いでいる?
上杉:そういうことは考えたこともありませんね。
武田:性豪といっても戦国武将がたくさんの側室を持つのは血を残すため。何も、快楽ばかりが目的だったわけではないでしょう。でも、私の場合は「もう一度、そういう時代に戻りたい」と言っておきましょう。
上杉:ワハハ!
──歴史深い両家だけに、代々伝わる家宝がある?
上杉:私が気に入っているのは、織田信長から贈られた『洛中洛外図屏風』です。これは、何度見ても本当に素晴らしい。
武田:私は、今日持ってきました。信玄公の父・信虎公が正室のために京都で打たせた懐剣です。
上杉:ほう。信虎公が。銘は?
武田:『備前長船清光』です。約500年前の天文10年に打たれた刀です。
上杉:刀といえば、いま日本刀を愛好する“刀女子”というのがブームです。『刀剣乱舞』という刀を擬人化したゲームが流行っていて、謙信公の刀もキャラクター化されているの。『五虎退』という小さな刀なんだけど、それが去年ぐらいから有名になって。博物館に展示してほしいと言われている。
武田:今日、こうして初めてお会いしてお話をして。先祖たちはライバルですけど、“家”を背負うもの同士、通じ合うものがあった。
上杉:いやいや、おっしゃる通りです。
武田:今度は2人で盃を交わしたいですね。
上杉:いいですね。その時は川中島で(笑い)。
※週刊ポスト2016年7月22・29日号