放送作家でコラムニストの山田美保子氏が独自の視点で最新芸能ニュースを深掘りする連載「芸能耳年増」。今回は、大橋巨泉氏が当時のテレビ界においていかに天才だったかを回想する。
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7月12日、急性呼吸心不全のため、82才で亡くなった大橋巨泉さんの主な出演テレビ番組として、『11PM』(日本テレビ系)、『お笑い頭の体操』(TBS系)、『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』(日本テレビ系)、『クイズダービー』(TBS系)、『世界まるごとHOWマッチ』(TBS系)などがスポーツ紙やワイドショーで取り上げられていた。いずれも、私が小中高校生時代、テレビにかじりつきながら見ていた番組ばかりだ。
30才で放送作家の師匠・長谷川勝士氏に弟子入りした私は、師匠のお陰で、巨泉さんがセミリタイアする直前、作家の端くれとして巨泉さんが出演する番組に関わる幸せも体験できた。
打ち合わせ中の巨泉さんには「厳しい方」という印象しかない。演者であり、作家でもあったから、細部にこだわりをもっていらしたし、殊更、「面白くないこと」にはハッキリ、その場でスタッフにおっしゃる方だった。
巨泉さんの偉業については、既に多くの方がさまざま語っていらっしゃるが、視聴者として、そして放送作家として、もっとも下の年代だったし、下っ端にあたる立場として、私はこう思っている。「大橋巨泉さんは、音楽界、出版界、スポーツ界、旅行業界など、さまざまな業界を、テレビという媒体を介して、いち早く、お茶の間に届けてくれた方」なのではないか。いまでいう“ギョーカイ”的なものを最初に取り上げ、面白がった方でもあると思う。
私がその気持ちを抱く“きっかけ”になった巨泉さんの番組は『ビートポップス』(フジテレビ系)である。スタートしたのは、1966年とウィキペディアにあったが、67年という説もある。つまり。『11PM』と同年か、その翌年のようだ。申し訳ないが、まだ小学生だった私の記憶は曖昧だし、そのウィキペディアに『ビートポップス』は、赤文字でしか記されない、つまり、「このページはまだ作成されていません」…なので、記憶を擦り合わせることさえできないのである。
検索をかけると、何人かの方がブログなどで同番組評を書かれている。恐らく私より数歳上の方たちだと思うのは、私よりもずっと固有名詞の記憶が確かで、エピソードも詳細だからだ。
テレビで最初にポップス(洋楽)をかけた番組だと記す方もいらっしゃれば、巨泉さんが洋楽のアーティスト名や曲名に因んで発するダジャレを記している方もいらした。この度の訃報で、「はっぱふみふみ」や「ボイン」といった巨泉さん発の流行語がずいぶん取り上げられていたが、「牛も知ってるカウシルズ」「B面にあってもエーメンとはこれいかに」に代表される、『ビートポップス』発の流行語も、そういえば、たくさんあった。
同番組の想い出を書いていらした中のおひとりは、なぜウィキペディアに項目がないのかとも憤慨されていた。私も同感だ。
番組内容を説明すると、『ビートポップス』は、洋楽のヒット曲をカウントダウンし、それに合わせて小山ルミや杉本エマら、いわばハーフタレントの先駆け的存在だったモデルたちがミニスカ姿になり、長い髪をなびかせながら“お立ち台”で踊っていた。
つまり、スタジオをジャズ喫茶かディスコのようにしてしまった、本当に当時としては画期的な番組だったのである。