『11PM』『クイズダービー』などの司会者として親しまれた大橋巨泉さん死去のニュースは、各所で大きく報じられている。巨泉さんがテレビ界に残した足跡は計り知れない。巨泉さんが司会を務めた人気番組の舞台裏からは、テレビ界の現状も見えてくる。巨泉さんにインタビューしたことのあるコラムニストのペリー荻野さんが考察する。
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7月12日、82歳で世を去った大橋巨泉さんは、多くの名番組を世に送り出した。筆者は以前、その舞台裏についてご本人にインタビューさせていただいた。その記録をもとに巨泉さんの番組と現代のテレビを考えてみたいと思う。
早稲田在学中から、ジャズ評論家をしていた巨泉さんは、先輩が多かった音楽番組を手伝うようになった。開局一年目のTBSの番組では生放送中に「あと5分余ってる!」となって、巨泉さんは映らないようにスタジオを這って、バンドのメンバーに「もう一曲!」と頼み、無事放送完了したこともあったという。
その後、『11PM』の司会者に。番組スター時には司会をするとはまったく考えておらず、プロデューサーが「テレビは普通の魚屋、八百屋よりずっと劣る。彼らは売れれば売り場面積を広げられるが、テレビはどう売っても一日24時間しかない」と嘆くのを聞き、当時、未開拓だった深夜番組なら、もっと自由に面白いことができると発想。
親友のディレクターと組んで、麻雀や競馬などそれまで取り上げられなかった遊びを番組に取り入れて評判となる。番組の司会は、当初、ダンディーな映画スターが想定され、巨泉さん司会には反対意見も多かったらしい。しかし、巨泉さんと朝丘雪路さんは名コンビとなり、人気を博す。
巨泉さんの番組作りには「結果を出すこと」と「自分が見込んだ出演者と番組を作る」というこだわりがあった。関東地区で最高視聴率が40%を超えた(ビデオリサーチ調べ)、代表作『クイズダービー』は、三組の出場者が五人の回答者に持ち点を賭けるスタイルのクイズ番組だとばかり思っていたが、始めは五組の出場者がいて、回答の倍率も“オッズマン”がやっていたのだった。
しかし、オッズという言葉が日本に浸透していなかったためか、いまひとつ番組が盛り上がらず、巨泉さんは「出場組を五組から三組に。倍率は“巨泉の独断と偏見”で決める。問題の作家を増やして、賞金よりも問題の面白さを追及する」と決断。その後、「倍率ドン」「さらに倍」といった決めセリフや驚異的な正解率のはらたいらさんを「宇宙人」、三択に強い竹下景子さんを「三択の女王」などとニックネームをつけるなどして、幅広い年代の視聴者に親しまれるような流れを創り出したのである。
放送作家として長く番組を作る側にいたため、面白い人を探すのが得意だった。『世界まるごとHOWマッチ!』では、「博識の石坂浩二、ビートたけしこのふたりが押さえられたらこの番組をやる」とはっきり言っていたという。巨泉さんにより、歌手、俳優といった本業とは別のタレント性を見出された芸能人はとても多い。
セミリタイア宣言から二十年以上を経て、「今のテレビでやりたいことは…ないな。ぼくがやりたい番組があっても、それは予算的に無理でしょう」とサラリと言われた。未開拓でおとなの時間だった深夜帯は、今はドラマ、バラエティーなんでもありの若者の時間帯に変化した。「どう売っても一日24時間しかない」テレビは、録画や配信で事情が変わり、多チャンネル化も進んで、番組制作費の削減はしばしば話題になる。そうした事情をすべて含んでの「無理でしょう」だったのだろう。
海外生活から日本に戻り、たまに旧知の番組に顔を出すのは、「ボケ防止だよ」と笑っておられた。亡くなった今も、テレビの現状を映し出す鏡のような存在だと思える。改めてその存在の大きさを実感する。