房総半島の東端、九十九里浜から車で30分。千葉県大網白浜市の高台に、大橋巨泉さんの終の住処がある。木造2階建ての大豪邸。7月中旬の昼下がり、ひっそりと静まり返る自宅の玄関前には、多数の献花が届いていた。
7月12日、巨泉さんが呼吸器不全で永眠した(享年82)。『11PM』や『クイズダービー』など、伝説の番組を創設した“テレビ界の巨星”の晩年は、満身創痍だった。
2005年の胃がん発覚以降、咽頭がん、悪性リンパ腫などこれまで4度のがん手術を経験。11年にわたる壮絶闘病を支えたのは、妻の寿々子さん(68才)だった。
「365日ずっと一緒にいましたね。もう片時も離れずに。巨泉さん、がんを患ってからもゴルフが大好きで。よくコースを回りましたけど、傍には常に寿々子さんがいました。体力が落ちちゃったから、今までは一発で池を超えてたのに、最近は届かないんです。それでも、“あなた、ナイスショットよ”って寿々子さんが言うんです。嬉しそうな巨泉さんの顔が忘れられない。
入退院を繰り返していた巨泉さんですが、今年4月に在宅医療に切り替えて以降、ご飯食べさせるのも、お風呂入れるのも、全部寿々子さん。最後は彼の連載の原稿まで、巨泉さんから聞き取って寿々子さんがパソコンに打っていたそうです。あれほど強く結びついた夫婦を他に知りません」(巨泉さんを知る芸能関係者)
ふたりの出会いは1968年。巨泉さんがレギュラーのラジオ番組に、寿々子さんがアシスタントで採用されたことがきっかけだった。
「巨泉さんが両国、寿々子さんは業平橋と、お互い東京の下町出身でね。出会った時から波長が合ったんです」(前出・芸能関係者)
寿々子さんの家までジャズピアノを教えに通ううち、自然と交際に発展。翌1969年に結婚した。当時、巨泉さんはバツイチ。14才差の再婚に、「プレイボーイの少女誘拐」とまで言われた。
「挙式はローマの教会で挙げました。カトリックの教義に則って、“ここにサインしたら一生離婚できません”と言われたそうですが、ふたりとも躊躇なく捺印した。それから今まで、ずっとあの調子。夫婦には2つのルールがあって、1つは『怒っても翌日には持ち越さない』。もう1つがすごい(笑い)。『朝晩のチューは絶対に欠かさない』。ふたりは、これを最期まで守ったそうです」(別の芸能関係者)
命がけの献身で夫を支えた寿々子さんだが、1つだけ後悔していることがあるという。在宅治療を担った医師の施術である。
《もし、一つ愚痴をお許し頂ければ、最後の在宅介護の痛み止めの誤投与が無ければと許せない気持ちです》
夫の死を受けて発表した寿々子さんのコメントには、こんな一文が綴られていた。
「突然、大量のモルヒネを渡されたり、自宅に来ても何もしなかったりと、不信な点があったそうです。特に訴えるつもりはないそうですが、悔しさの残る最期だったそうです」(スポーツ紙記者)
巨泉さんの所属事務所の社長で実弟の大橋哲也さんに話を聞いたが、「申し訳ないが、その件については何も話せない…」とのことだった。
※女性セブン2016年8月11日号