【書評】『王道楽土・満洲国の「罪と罰」 帝国の凋落と崩壊のさなかに』/松岡將著/同時代社 2800円+税
【評者】平山周吉(雑文家)
赤い夕陽の沈む満洲で育った人々は、かの地への郷愁の念が強い。少年期を満洲で過ごし、戦後に引揚げ、後に農林官僚になった著者もその一人だが、「ふるさと満洲国」崩壊の無念の思いは、歴史の探求へと収斂された。本書『王道楽土・満洲国の「罪と罰」』である。
戦時体制期の満洲を描くために著者は「興農合作社・満鉄調査部事件」に注目する。農協と国策シンクタンクに相当する巨大組織に司直のメスが入り、百人近い日本を離れた元左翼分子らを検挙した事件である。留置場では五人の死者までが出た。中央公論や改造社が狙い撃ちされた「横浜事件」の満洲版といえる。
日米開戦の直後に、満洲国でも日本に倣って治安維持法が施行される。この新法を使い、罪刑法定主義を踏み越える解釈をほどこし、関東憲兵隊という組織が、現代版「焚書坑儒」を仕掛ける。その間に、国際情勢は徐々に日本と満洲国を破滅へと追い詰めていく。
著者の事件を追う歴史眼は精密である。年ごとの世界情勢を記し、新天地の生活の変化を点描し、官僚の人事異動に注目し、彼らの法理構成を分析する。元官僚らしい実務的な視点が十分に生かされて、史料を超える歴史の実相に確かに触れたという読後感が残る。
著者の把握は、東條英機首相兼陸相(対満事務局総裁も兼任している)による「憲兵政治」の独断専行に主眼が置かれていく。東條の腹心・加藤泊治郎憲兵少将は東條の在満時代に続いての満洲赴任で、関東憲兵隊司令官となる。その間、わずか五か月ながら、大量検挙に踏み切る。
さまざまな登場人物の中で、もっとも印象的なのは平田勲である。思想検事として辣腕をふるい、大転向時代を演出した平田は、その後、満洲の地で、検察トップになり、転向者たちを支援していた。その平田が病のため昭和十六年八月に辞任する。もし平田が健在ならば、歴史は変わっていたかもしれない。著者は痛恨の念で、平田の帰国を惜しんでいる。
※週刊ポスト2016年8月5日号