「都議会のドン」と呼ばれる自民党東京都連幹事長の内田茂・東京都議(77)。その力の前には大臣や国会議員もひれ伏すという。昨年亡くなった妻の葬儀委員長は、安倍晋三首相が務めたほどである。
そして、内田流のケンカの作法は、新米知事に就任初日から痛烈な先制パンチを見舞う。都政の“絶対君主”のように見えた石原慎太郎・元都知事でさえ翻弄された。
「東京から日本を変える」と掲げて1999年の都知事選で勝利した慎太郎氏は、大幅な都政改革を打ち出した。当時すでに都議会幹事長(都連幹事長とは別)で議会の実力者だった内田氏は慎太郎氏との対決姿勢を鮮明にする。
過去5代の知事を取材してきたジャーナリストが、内田氏が取った奇襲作戦をこう語る。
「当選したばかりの石原知事が都議会の各会派に挨拶回りをした際、内田氏率いる都議会自民党の控室はもぬけの殻だった。内田氏の指示で知事の就任挨拶をボイコットしたわけです。この事件の後、知事は都議会運営で大苦境に立たされる」
東京都のGDPは韓国一国に匹敵し、予算規模(年間約13兆円)はスウェーデンの国家予算に等しい。それだけの巨大組織の運営は都知事1人では不可能で、4人の副知事が補佐する仕組みになっている。
慎太郎氏は国会議員時代から政策秘書を務めた浜渦武生(はまうずたけお)氏を副知事に起用しようとしたが、内田氏はこの人事案を都議会で否決し続けた。都知事の権限がいかに強大でも、予算案や人事案は議会の同意がなければ通らない。折れたのは知事のほうだった。
「ホトホト困り果てた慎太郎氏が当時の小渕恵三首相サイドに頼み込み、竹下派を仲介に内田氏と手打ちしたといわれました」(ベテラン記者)
ひとたび敵対すると決めたら、相手に自分の力を思い知らせるまで手を緩めず、「内田さんから先に譲歩することは絶対ない」(都庁OB)のである。
※週刊ポスト2016年8月12日号