セエ~イ、ヤァ~ング! 夜明けが来る前に愛し合おう──。なかにし礼作詞のオープニングテーマ曲が流れた途端、場のテンションが高まった。
7月のある夜、文化放送で『吉田照美のラジオなテレビ~伝説のラジオ番組「セイ!ヤング」が一夜限りでBSに復活!~』の収録が行なわれた。かつて吉田照美(65)もパーソナリティを務めた人気の深夜放送『セイ!ヤング』を1回限りで復活させ、テレビ番組として放送するのだ(BS日テレ、9月25日21時~)。
吉田より前に『セイ!ヤング』のパーソナリティだったばんばひろふみ、なぎら健壱、後に吉田の番組に出演していた松本伊代、早見優がゲストで思い出話をし、当時のリスナーからの葉書を紹介するなどした。
進行を管理し、キューを出すのは当時のスタッフで、収録を見守る人々の中にはその頃の学生バイトやヘビーリスナーもいた。
「自然とテンションが高まっちゃいましたよ。いつもより声も高くなったしね。同窓会みたいで楽しかった。僕は深夜放送がやりたくてラジオのアナウンサーになったんです。今でもやらせてもらえるなら、お金を払ってでもやりたいくらいですよ」
後日、吉田は嬉しそうにそう話した。
「パーソナリティとリスナーが等身大の人間として向き合うのがラジオの良さで、それが一番出るのが深夜放送。喋る内容も自由で、リスナーも独りで聴いていることが多く、いい意味での内輪感、親密感が生まれるんです」
吉田は大学に入った頃まで「対人恐怖症」だった。そんな自分を変えようとアナウンス研究会に入り、やがてラジオの魅力に取り憑かれ、1974年に文化放送に入社。だが、新人時代は常に「劣等感」がつきまとっていた。
「当時、局にいた先輩のみのもんたさんは、番組に出ているときも、普段と変わらずあのキャラクターのまま。素顔は引っ込み思案の自分にはアナウンサーはできないのではと悩みました」
吉田は、意識的にテンションを高め、甲高いトーンで喋ることで根暗なイメージを払拭しようとした。『セイ!ヤング』のパーソナリティに抜擢されたのは入社4年目だ。だが、自分は「凡人中の凡人」。そこで、番組の中で「馬鹿なこと」をやることにした。