1989年6月の天安門事件で、学生らの民主化運動拡大の責任を問われ、中国共産党総書記を解任、その後事実上の幽閉状態に置かれ、2005年1月に死亡した趙紫陽氏が1980年代に行った内部講話や書簡などを集めた「趙紫陽文集」が香港中文大学出版社から発行された。
これらの文書などはほぼ9割が初出で、これまで公開されていなかった。このなかには、当時の最高実力者、トウ小平氏から指示された政治改革について、西側で行われている民主的な選挙の必要性を訴えた内部文書など貴重な記録が収められている。
文集は4巻に分かれており、第1巻は1980年から1982年、第2巻が1983年から1984年、第3巻は1985年から1986年、第4巻が1987年から1989年の言動を記録した講話や書簡、論文などが収められている。この間、趙氏は首相や党総書記を務めていることから、内容は政治、経済、党務、外交、国防、教育など多岐にわたっている。
また、この時期はトウ氏ら最高指導部が改革開放路線を積極的に推進した時期とも一致していることから、保守派の反対なども強く、保守改革両派による権力闘争の実態を表している文書や書簡もあり、激動の現代中国史を知るうえで極めて貴重な書となっている。
この文集に収められている趙氏の発言や講話、書簡などは趙紫陽氏の子息の許可を得て出版されており、当時の趙氏の政治や経済などに思いが強く伝わっている。
特に、文集の発行で、趙氏が当時、政治改革について、「これまでの指導者の選出方法では、実質的に、押し付けられたもので、選挙と呼べるものではなかった。今後は少なくとも、省・自治区・直轄市レベルの最高指導者は複数の候補者による民主的な選挙を実施しなければならない」と述べていることが明らかになっている。
しかし、趙氏があまりにも過激な政治改革論者だったことから、トウ氏ら長老指導者の強い警戒を招き、失脚の伏線となったとみられる。
また、最近の香港では習近平国家主席ら最高指導部のスキャンダルに関する中国大陸での発禁本を扱っている香港の書店の店主や社長らが大陸内で身柄を拘束されるなど、香港の言論の自由が脅かされる状況になっている。それだけに、この「趙紫陽文書」の発行も中国当局を強く刺激することは間違いない。