現在93歳。最新作『老いも病も受け入れよう』が10万部を超えるベストセラーとなっている瀬戸内寂聴さんは、佐藤愛子さんと1歳違い。ともに90を超えてなお、執筆の意欲は衰えず、第一線で執筆を続けている希有な二人だ。瀬戸内さんは、佐藤さんの最新エッセイ集『九十歳。何がめでたい』をどう読んだのだろう。感想をうかがうと「もう何度もゲラゲラ笑いましたよ」と大絶賛。そこには、互いに90を超えて感じた悲しみや寂しさ、それから生きてきた時代と、変わってしまった世の中について、同世代だからこそ分かる深い共感があった。
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私が一九二二年生まれで、愛子さんが一九二三年生まれ。一年違いで、生きてきた時間がほとんど同じですから、感じ方も経験していることも、本当によく似ているんですよ。だから、『九十歳。何がめでたい』を読むと、もうゲラゲラ笑って、ああ、やっぱり愛子さんが一番わかっているなあと思いました。
彼女がしんどいと言っていること、社会に対して怒っていること、それから若い人たちがつまらない理屈を言ったり、苦情を言うことに腹が立っていること…この本に書いてあることで、意見が違うなんてところはどこもなかったです。
病気で寝ていても、声が元気で「ああ、お元気じゃないですか」と言われて困っているのも一緒ですし、よく騙されたりするのも、男運が悪いのも一緒(笑い)。
ただ、私は出家しているので、愛子さんほど思った通りは書けない。本当は私もしょっちゅう怒っているんですが、もうちょっと穏やかに書く。でも、愛子さんは違います。例えば題をつけるにしても、「いちいちうるせえ」なんて、こんなことをわれわれの年のおばあちゃんが思っていても言えませんが、愛子さんははっきり書く。だから私は、彼女の言葉にパチパチって手を叩くんです。
彼女の表現にはユーモアがあって、笑わせますよね。私だったらこんなに笑わせられないんじゃないかなと思いますが、全二十八編、それぞれ必ず一回か二回は思わず笑ってしまいました。
私たちの世代、つまり九十歳を越しますと、もう毎日、お友達が死ぬんです。それは本当に寂しいことでね。病気をしているそうだと聞いて、ちょっと電話でもかけようかなと思ったら、もう死んだっていう知らせが来る。でも、足腰がダメで、お見舞いに行ったりお通夜に行ったりすることもできない。
愛子さんは九十になって老いを感じたと書いていますが、私は九十二になった時に老衰ということを感じました。他の人より何十年も遅いかもしれませんが、やっぱりそれは二人とも気が強いからでしょうね。
もうお互い病気って聞いても見舞ったりはできないでしょう。だから愛子さんが書いてくれるのが一番嬉しい。本でも雑誌でも、彼女の名前が出ていたら必ず読みますから。そうして、ああ、元気だ、元気だって思う。これでもうおしまいなんていわず、これからも彼女には書き続けてほしいです。(談)
※女性セブン2016年8月18・25日号