【書評】『鮎川信夫、 橋上の詩学』樋口良澄・著/思潮社/2700円+税
【評者】川本三郎(評論家)
「Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でも痛むか」
終戦直後に発表した詩「死んだ男」で鮎川信夫はそう書いた。「M」は戦争で死んでいった友人だろう。生き残った自分が、死んだ友に呼びかける。「痛むか」は自身の痛みでもあろう。
現代詩を代表する詩人、鮎川信夫(一九二〇―一九八六)を論じる。著者は若き日、『現代詩手帖』の編集に携わり、詩人とも親交があった。読む前は、元編集者によるよくある回想記かと思ったが違った。本格的な論になっている。
繰返し論じられるのは、鮎川の戦争体験。一九二〇年生まれの鮎川は十代にして「戦後」を体験した。第一次大戦の戦後である。そこから世界を懐疑の目で見るようになった。
西欧の詩人の影響で世界を「荒地」と見た。太平洋戦争が勃発したあと日本は亡ぶと予感した。絶望を抱えて応召していった。自分は生還したが、詩を通じて親しくなった友人の森川義信はビルマ戦線で戦病死した。「死んだ男」の「M」は森川のことだろう。
この戦争体験が詩人の核となったと著者は見る。当然、戦後社会に違和感を持ち続ける。後年、八〇年代になって戦争に行かなかった世代の吉本隆明と現代社会の解釈で対立した淵源は二人の戦争体験の差にあったのかもしれない。
著者は本書は評伝ではないとしながらも、鮎川信夫の知られざる実人生も明らかにしてゆく。ひとつは、父親のこと。雑誌の編集者をしていたというが、それはどういう雑誌だったのか。丹念に調べてゆき、それが軍国主義、愛国主義の色合いの強い教養雑誌だったことを示してゆく。しかも少年時代、鮎川信夫は父の雑誌の編集を手伝っていた。
もうひとつ意外な事実がある。鮎川信夫はつねづね独身といっていた。しかし実は高名な英語学者の最所フミと結婚していた。複雑な詩人像が浮かびあがってくる。詩は切実な現実のなかからこそ生まれるものなのだろう。
※週刊ポスト2016年8月12日号