『女性セブン』の名物記者“オバ記者”こと野原広子が、オリンピック中継に物申す!
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リオ五輪が始まると、テレビのリモコンが手離せない。時差12時間もなんのその。地球の裏側で奮闘しているわが日本選手団の活躍を、ライブで見たい一心で、地上波とBSを行ったり来たり。
非独立国も含めると204か国、1万500人の選手が参加しているそうだけど、国を背負った選手たちの緊張感がテレビ画面から伝わってきて、ピリピリと音を立てているよう。 音といえば競技中の選手の吐く声のセクシーなこと。競技の決着がつく直前の、観客の絶叫も臨場感抜群で、明日こそは25インチのテレビを40インチにしようかなと、算段しちゃう。
でも、聞くに堪えない音もあるんだよね。特に民放が中継する競泳とバレーボール、と言ったらピンとくる人はいるはず。まず民放にチャンネルを合わせるときは、前もって「来るぞ」と、下腹に力を入れるけど、それでも間に合わないオリンピック・フィーバー、ハイテンション。
これを「わあ、オリンピックだわ~」と思える人はいいよ。でもそうでない私には苦行なのよ。
競技と縁もゆかりもないタレントが、現地からマイクを握る。「いや〜、すごかったですねえ。さっきから鳥肌が立ちっぱなしですよ」と、私たち視聴者の代表としてレポートするって触れ込みだけどさ。
タレントの視線、いる? 現地の空気を伝えるなら、実況のプロがすればいいんじゃないの? タレントだけじゃない。競技が始まると、競泳は複雑な戦略がないせいか、解説者も「さぁ~、ここからですよ」とどうでもいいことを興奮して連呼するからガマンも限界。
「うるせぇーっ、見てりゃわかるわっ」
レースに興奮しているのか、実況を怒っているのか、自分でもわけわかんない。
競技が終わっても、腹立ちは収まるどころか、増す一方よ。たとえば、競技のすぐ後で疲れ切った選手をスタジオに呼んで、笑いとるような質問をなぜする? 世界と戦えるまで己を磨いてきた選手と、その競技をにわか勉強した程度のタレントを交わらせる必要がどこにあるの?
スポーツは純粋にスポーツとして観戦したいんだよ。バラエティーにすると、クリアな画面がたちまち濁って見えるのは、気のせいか?
バレーボールだってそう。50年前、東京五輪のブルマー姿の東洋の魔女を白黒テレビで見たことを今も覚えている私は、1点入るたびの鳴り物入りの大騒動が耐え難いんだよ。ああ、言い出したら止まらないわ。もちろん日本選手の活躍を期待するし、できれば勝ってほしいよ。でも日本に勝ち目のない競技を、タレントを使ってテンションを高くすれば喜ぶほど、オバサンはバカじゃないからね。
ほんと、民放局のスポーツに対する姿勢、いい加減なんとかしてよ。
※女性セブン2016年8月18・25日号