毎年夏に行なわれる野外音楽フェスティバルのなかでも、もっとも古いイベントのひとつ・フジロックフェスティバルに、安保法制に反対する学生団体SEALDs創設メンバーの奥田愛基氏の出演が発表されると、「音楽に政治を持ちこむな」と反発の声があがった。評論家の呉智英氏は、音楽に政治を持ちこむことの何が悪いのか分からないといい、きわめて政治的でしかも素晴らしい音楽について解説する。ちなみに奥田氏は音楽を奏でるのではなく、トークイベントに登場した。
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7月22日から3日間、フジロックフェスティバルが開かれた。ロックを中心にジャズやフォークも含む野外音楽祭で、今年で20年目である。といっても、私はこの音楽祭そのものに興味はない。この音楽祭をめぐる言説、つまりこういう音楽祭をやりたがる連中の音楽観・芸術観・文化観の貧しさに関心がある。
今年のフジロックには、安保関連法案反対運動の中心メンバーが出演することになった。これに対し、音楽に政治を持ち込むなの声が挙がり、それを批判する声も出た、という。2年前にも同様の議論があったようだ。
音楽に政治を持ち込んで何が悪いのか、私にはよく分からない。音楽に「良い政治」を持ち込んで良い音楽になることもあるし、「悪い政治」を持ち込んで良い音楽になることもある。「良い政治」を持ち込もうが「悪い政治」を持ち込もうが、何の感動もない悪い音楽になってしまうこともある。音楽に求められるのは感動なのだ。
事実「悪い政治」を持ち込んだ感動的な名曲は歴史上枚挙にいとまがない。
ショスタコービッチは20世紀を代表する作曲家で、最も有名なのは交響曲第五番『革命』である。この革命とはソ連の社会主義革命のことだが、作曲されたのはスターリンが権力を握り70万人もの大虐殺が行なわれた1937年である。自らも粛清を恐れたショスタコービッチがスターリンの意を汲んで作曲したと言われる。しかし、この第五番は感動的な名曲である。虐殺された70万人にも聞かせたいぐらいだ。
クラシックなんて知的俗物が聞く音楽だから、そんなものだ、と言う人もいよう。それなら、1968年フォークブームの中でヒットした『イムジン河(がわ)』はどうか。それこそ政治問題がからみ『リムジン江』が原曲だという騒動も起きた。どっちにせよ、祖国を分断した南朝鮮(韓国)の指導者を怨嗟したきわめて政治的な曲であって、しかも名曲なのである。