日本人のなかには「がんにだけはなりたくない」と考える人が少なくない。「がんは痛い」という思い込みがあるからだ。
「がんの痛み」の原因は必ずしも「がん細胞」とは限らない。むしろ「がん治療」が痛みをもたらすことが多い。長尾クリニック院長の長尾和宏氏の指摘だ。
「抗がん剤を“がん細胞だけを殺す薬”、“がんを治す薬”と思っている方が多いですが、誤解です。白血病や悪性リンパ腫など一部の血液がんを除き、多くの場合、がんの完治を目指すものではなく、あくまで延命効果を期待して使われているのです」
一般的に抗がん剤は副作用が強いため、治療を長く続けているうちにデメリット(副作用による日常生活への悪影響)が、メリット(薬の効能)を上回る時がやって来るという。
その時点から抗がん剤治療は、「延命」から「縮命」へと変わってしまう。
「抗がん剤は嘔吐や 怠感、皮膚症状、腹痛、発熱などの副作用を伴います。そのため抗がん剤治療をやめただけで、嘘のように食事を摂れるようになったり、病院から自宅に戻っただけで、みるみる元気になっていく患者さんを何人も目にしてきました。抗がん剤を適切な時期にやめることで、寿命が延びた人もたくさんおられます」(前出・長尾氏)
2年前、ステージIIIの食道がんに冒されていることが発覚した黒田辰男氏(68・仮名)は、医師から「余命1年」と告げられた。
手術で食道を切除した後、抗がん剤治療を続けていたが、1年前にやめてしまったという。
「薬の副作用の吐き気や嘔吐、体のだるさがとても辛かった。治療をやめてから、食べる量は減りましたが、食欲は戻ってきました。常にあった吐き気や倦怠感がなくなり、よく眠れるようになったのも嬉しい」(黒田氏)
病気が完治したわけでなく、転移の恐怖に怯える状況は変わらないが、以前より快適に過ごせているから後悔はしていないという。京都にある特別養護老人ホーム同和園付属診療所所長の中村仁一氏もこう言う。
「“がんは痛む”という先入観が広く浸透していますが、何も治療をしないことで痛みもなく、穏やかな最期を迎えたがん患者を、私は100人近く目にしてきました。“進行の速い老衰死”と言っていいくらい穏やかな最期でした」
手術も同様だ。術後の痛みや体力の低下といったデメリットが、メリットを上回るなら手術しないという選択肢も出てくる。
手術や薬がことさらに危険だと煽るわけではない。むしろ手術や薬の効果を正しく評価した上でこそ、「治療しない」という選択には意味がある。痛くない、苦しまない死に方を選ぶ。そのためには正しい知識が必要なのだ。
※週刊ポスト2016年8月19・26日号