「京都ぎらい」より潜在数は多い!?と言われるのが「名古屋ぎらい」。『週刊ポスト』では、そんな名古屋を愛蔵込めて大研究しているが、同企画の“元祖”というべき『京都ぎらい』(朝日新書)の著者で国際日本文化研究センター教授の井上章一氏に「名古屋ぎらい」について尋ねてみた。
「名古屋ぎらいには根拠がなく、非常に気の毒です。私はバッシングに乗るより、名古屋のためになってあげたい」
まさかの“名古屋擁護発言”である。井上氏は「京都と名古屋は全然違う」と強調する。
「京都では、東京出張をいまだに“東下り”と呼んで見下し、同じ京都在住でも洛中(京都の市街地の中でも特に中心地区)は洛外を差別する。このいやらしさは京都独自のもの。名古屋は市のシンボル・鯱のマークがあふれ、陸上自衛隊の装甲車にも日の丸の代わりに鯱が入っていて実に郷土愛が豊かな都市です」
歴史的に見ても、名古屋は嫌われるどころか好かれていたと井上氏は指摘する。
「とくに明治・大正期に名古屋は“美人の産地”として有名でした。東京・新橋の花街では尾張言葉が共通語で、“ウチには名古屋の女が〇人いる”とアピールし、競い合って名古屋嬢をリクルートした。地方出身の遊女が名古屋出身と偽ると“名古屋偽装”とけなされたほどです。最近は“3大ブス”と馬鹿にしますが、かつて名古屋の女性はこよなく愛されていた」
それでも、「名古屋ぎらい」が盛んなのは、人間の“本性”によるものだという。
「人間には他者を見下して偉ぶりたいというドス黒い気持ちがあります。これが外に向かって悪い方向へ行きすぎるとヘイトスピーチにつながりますが、名古屋を標的にしてからかっても差別問題には発展しない。名古屋の人には気の毒ですが、今後も日本人が差別主義者にならないための“安全弁”になってほしい」
【PROFILE】いのうえ・しょういち/国際日本文化研究センター教授。1955年、京都府生まれ。京大大学院卒。日本文化や関西文化論などに精通し、2016年に『京都ぎらい』(朝日新書)で『中央公論』新書大賞受賞。
※週刊ポスト2016年8月19・26日号