ノンフィクション作家・佐野眞一氏が3年ぶりに上梓した『唐牛伝』(週刊ポスト連載時は「一九六〇 唐牛健太郎と安保の時代」)は、六〇年安保を牽引した全学連委員長・唐牛健太郎の人物伝である。
唐牛は今から30年以上前の1984年に47歳にしてこの世を去っている。安保後、漁師や居酒屋店主と職を変え、日本中を転々としたその生涯は、佐野氏が従来題材としてきたダイエー創業者・中内功や、ソフトバンク会長・孫正義氏の派手な“成り上がり人生”とは趣を異にする。
なぜ唐牛を題材に選んだのか。佐野氏は、そこに日本の青春時代が映っているから、と答える。以下、佐野氏が解説する。
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唐牛らが青春を賭けた1960年とはどんな年だったのか。皇太子ご夫妻(現・天皇)に徳仁親王(現・皇太子)が生まれたこの年は、アメリカではケネディが大統領選に出馬表明している。ドナルド・トランプなる怪人物が大統領選に出馬し、アメリカだけでなく全世界を揺さぶっている現在とは隔世の感がある。
当時、13歳だった私は「革命が起きて日本が変わるのでは」と胸を高鳴らせながら六〇年安保を遠くから見ていた。『パパは何でも知っている』というアメリカのホームドラマで冷蔵庫に入った女性の太ももより太いハムを見て「アメリカっていいな」と単純に憧れる一方、在日米兵が群馬県の演習場で薬莢を拾いにきた主婦を面白がって射殺した「ジラード事件」には、激しい反米感情を覚えた。
そんな板挟みの感情を持ってアメリカを見ていたわれわれ世代よりも10歳上の唐牛ら全学連の連中は、どんな気持ちで「岸(信介首相)を殺せ!」と叫んでいたのか。私はまずそれを知りたかった。
私が大学に入学するころ、全学連を主導したブント(※注)はすでに解体され、内ゲバの時代に入っていた。左翼運動とはこんなものだったのか。現実に幻滅し、私は学生運動と一線を引いた。われわれの世代から見るとブントはおそらく二度とは生まれない革命組織であり、トップの唐牛は伝説に値する人物だった。
【※注/共産主義者同盟。日本共産党の方針に反発する形で1958年に発足した党派組織。以後、日本共産党にかわって全学連を牽引するようになる】