打者の目の前で突然ストンと落ち、「決め球」の印象が強いフォークボールの使い手としては「元祖」と呼ばれる杉下茂氏の他、村田兆治氏、野茂英雄氏、佐々木主浩らの名が挙がるが、他にフォークで名を成した投手として、“ヨネボール”の異名で知られた米田哲也(阪急ほか、1956~1977年、通算350勝)がいる。米田氏はこういう。
「ボクは指が短くて、ちゃんと挟めるようになるまで5年もかかりました。ただ、今のピッチャーみたいに、どのコースにいくかわからない球じゃなかった。フォークでもコース、高さをきちんと投げ分けられる。そうなって初めて試合で使える球になるんです。今はそれが分かってないよ」
かつての大エースたちは決め球への自負があったのだ。そのことは、歴代3位の567本塁打を誇る門田博光氏も証言する。
「米田さんは最初のうち“若造相手に投げるのはもったいない”と、ノムさん(野村克也)相手にだけフォークを投げていたね。僕が米田さんのストレートを少しずつ打つようになると、僕にも投げてきた」
ちなみに“変わり種”のフォークとして記憶されているのが江本孟紀(南海ほか、1971~1981年、通算113勝)の“エモボール”だ。本人が回想する。
「実は、単なるフォークボールの投げ損ないですわ。僕のフォークは挟む指のバランスがその日次第で、ボールが真っすぐ落ちたりスライダー気味に落ちたりする。たまたま妙な落ち方で上手くいった日に、マスコミが“エモボール”と持ち上げてくれたんです」
そう苦笑いした。
※週刊ポスト2016年9月2日号