【書評】『自選 大岡信詩集』(大岡信・著/岩波文庫/740円+税)
【評者】嵐山光三郎(作家)
大岡信は敗戦の翌年、中学時代から詩を書きはじめ、一高、東大国文科へ進み、読売新聞外報部記者として10年間の記者生活を送った。シュルレアリスム研究や古典文学に新しい光をあて、2003年(72歳)に文化勲章を受章。
文芸評論家として名をなしたが、その正体は詩人で、この世で一番怖くて偉いのが詩人です。なぜなら詩人はおそるべき「別の顔」「才人二十面相」を持っているからだ。コンパクトにまとめられた自選詩集は、三浦雅士による精密な解説(25ページ)と年譜(35ページ)がある。渾身の力作である。
三浦氏は「大岡は、詩と批評の交差点の中央に立ちつくしていた」とし、大岡が少年時代に読んだ印度童話「誰が鬼に食はれたのか」を要約する。
ある旅人が、人間の死体を担いだ鬼に会う。あとからきた鬼が、その死体は自分のものだと言って争う。最初の鬼に「証人になれ」と迫られて正直に答えると、あとからきた鬼が怒って、旅人の腕を引き抜いてしまう。
すると最初の鬼は死体の腕を折って旅人の体につける。これをくり返すうち、旅人の体と死骸はすっかり入れかわる。旅人は命は救われるが「いま生きている自分はほんとうの自分なのか」わからず、坊さんに尋ねると、「我」はもともとあるものではない、と教えられる。
編集者として大岡信と長く交流した三浦雅士でなければ書けない年譜である。私が好きな詩は、昭和24年(18歳)の「水底吹笛」(三月幻想詩)。
ひようひようとふえをふかうよ/くちびるをあをくぬらしてふえをふかうよ/みなぞこにすわればすなはほろほろくづれ/ゆきなづむみづにゆれるはきんぎよぐさ/からみあふみどりをわけてつとはしる/ひめますのかげ―(後略)
年譜には「失恋を描くと思わせる一連の詩」とある。17歳のときに知り合った相澤かね子(のち大岡夫人)への思いであろう。思いきり詩人の内面に入りこんだ年譜により、大岡信の言葉の弾丸で胸を直撃された。
※週刊ポスト2016年9月2日号