プロ野球の名投手ならば必ず持っていたであろう「決め球」。「佐々木主浩のフォーク」や「藤川球児の火の玉ストレート」などが挙がるが、制球力という面からは、江川卓(巨人、1979~1987年、通算135勝)のカーブを決め球ナンバーワンに推す声もある。“雑草エース”として共に巨人を支えた西本聖氏(巨人ほか、1976~1993年、通算165勝)が語る。
「ボクは内に曲がるのと縦に落ちる2種類のシュートを使い、他にシンカーもありましたが、江川さんは、真っすぐとカーブだけ。これだけでエースになった人は少ない。直球とカーブの両方にカウントを取る球とウイニングショットにする球があって使い分けていた。球威もあったけど、とくに制球が素晴らしかった」
異名を取る魔球としては、平松政次氏(大洋、1967~1984年、通算201勝)の“カミソリシュート”がよく知られている。巨人のV9を名捕手として支え、監督として西武の黄金時代を指揮した森祇晶氏も「長嶋茂雄はじめ当時のジャイアンツはみんなこれに手こずらされた」と語る。
その平松氏は、自らの全盛期のシュートについて、
「ベースの真ん中を目標に投げると、インコースぎりぎりのストライクになった。それも150キロのストレートと同じ勢いでバッターに向かっていく感じ」
と表現し、右バッターのバットを何本もへし折った。
「ボクは1球目からシュートを投げて打者にインコースを意識させました。長嶋さんはボクのシュートが頭から離れず、次打者の柴田(勳)さんに“キャッチャーがインコースに構えたらバットをコンコンと鳴らせ”と頼んでいたそうです」
ところが、その伝家の宝刀も、王貞治にはまるで通じなかったのだという。
「左打者から見るとシュートは逃げていく球。見逃せばいいし、怖さがない。だから王さんには見送られることが多く、甘い球が行くと見逃してくれなかった」
決め球の威力は、速さや球筋だけでは測れないということだろう。
往年の大投手たちの球を受けてきた森祇晶氏は、しみじみとこういうのだ。
「かつての20勝投手には、それに値する決め球があり、それを投げる相手となる打者への感性も秀でていた。やはり400勝の金田(正一)さんは制球力、切れ味ともに素晴らしかった。球を受けていても楽しかったですよ」
往時を超える決め球が今後、出てくることはあるのだろうか。
※週刊ポスト2016年9月2日号