2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月であることを自覚している医師・僧侶の田中雅博氏による『週刊ポスト』での連載 「いのちの苦しみが消える古典のことば」から、地動説を唱えたガリレオを弁護して投獄されたトンマーゾ・カンパネッラの「智者たちは異端判決を恐れなかった」という言葉の意味を紹介する。
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前回書いたように、ジョルダーノ・ブルーノはバチカンでの宗教裁判で異端と判決され、1600年に火炙りの刑に処せられました。この10年後にガリレオ・ガリレイが『星界の報告』を出版しました。
この本は、ブルーノやコペルニクスの著作がギリシャ・ローマの古典研究だったのとは違い、望遠鏡による天体の観察結果に基づいた科学論文でした。しかしその区別は、天を神の住処とする当時のキリスト教会にとって重要な意味をもたず、ガリレオは1616年に異端審問(第1回目)でローマ教皇庁から地動説を唱えないよう注意を受けて同意しました。ガリレオはブルーノと違って異端判決を恐れ、火炙りになることを避けるために自説を破棄したのです。
ブルーノにとって、彼の天文学に基づく哲学は、自己の命よりも大事な価値、すなわち宗教でした。しかしガリレオにとっては、彼の著作は自己の命ほどの価値はなく、科学の論文にすぎなかったのです。
ところが、頼まれもしないのに、命の危険を顧みずガリレオを弁護する修道士が現われました。トンマーゾ・カンパネッラです。彼は、結果的には火炙りになりませんでしたが、その危険に晒されながら獄中で『ガリレオの弁明』を著しました。彼は生涯で4回ローマ教皇庁に捕らえられ、合計約30年も投獄されました。