【書評】『北の富士流』/村松友視著/文藝春秋/1600円+税
【評者】坪内祐三(評論家)
私は大の相撲好きだが、大相撲が始まった時の楽しみに北の富士の解説がある。それからやはりその期間に東京中日スポーツに連載される北の富士のコラム「はやわざ御免」を愛読している。私はまた村松友視の人物ものの愛読者だ。つまりこの『北の富士流』は私の好きなものが重なっている。
読者はまず巻末の〈後書のようなもの〉から読み始めると良いかもしれない。村松友視と北の富士の出会いが語られるから。
銀座のクラブ「姫」のママだった山口洋子と村松友視は直木賞仲間となるのだが(村松氏の方が三年先輩)、村松氏が直木賞を取った直後、山口洋子のラジオ番組にゲストとして呼ばれた。番組終了後、山口洋子が、「このあと空いてる?」と尋ねた。「出演料は安いに決まってるから、『姫』をおごるってのはどう?」。
編集者時代は仕事として銀座のクラブに出入りしていたが、作家になってみると気遅れした。しかしそこは苦労人の山口洋子。「じゃ、カウンターだけの『姫』をおごるということで」と言った。つまりクラブスペースの一階、二階ではなく三階のカウンター(ウエーティングスペース)で。
その三階のカウンターで北の富士に出会ったのだ(初対面の時のエピソードが素晴らしい──クレバーな北の富士とその時の言葉を忘れない村松友視──まさに達人は達人を知るだ)。
その店で顔を合わせたのはその一回だけだがカウンター席で飲んだ時、北の富士へのメッセージをコースターに書き残し、その回答を北の富士がやはりコースターに書き、村松氏の手元にはそれが十枚近くあり、北の富士もまた捨てずに取っておいた。
村松氏も言うように着物であっても洋服であっても北の富士のダンディー振りには定評がある。だから同じ部屋の力士で今は函館に住む「渡辺さん」を九年振りで訪れた時のファッションが背中に金本知憲の名前が書いてあるジャンパーだったというのもシブい。
※週刊ポスト2016年9月9日号