新たな才能は“エロ”から生まれた。既存の価値観や流通システムさえ“エロ”が揺るがした。なぜ、その無秩序な表現は、三流劇画雑誌から生まれたのか。1977年に創刊された伝説の自販機雑誌「劇画アリス」初代編集長・亀和田武氏が懐古する。
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かつて“エロ劇画誌”の黄金時代があった。どの頁を開いても、女の裸と性行為を描いたものばかり。そんな雑誌が月に百誌、いや本誌と増刊もあわせれば、優に二百誌は書店や私鉄の売店、そして自動販売機で売れに売れていた。
ピークは1970年代の後半だ。最初の予兆は「漫画エロトピア」(KKベストセラーズ)が、エアブラシを使い垢抜けたヌードを表紙に配し、さらに豊満な人妻を描かせたら右に出るものなしの新鋭、榊まさるをメインに起用し、部数が急上昇した1975年か。
榊まさる、エロかったなあ。胸と尻、くびれのラインを強調し、着衣のままでも充分にヤラシい。宇能鴻一郎のコミック版というべき明朗な作風だが、絵の巧さで青少年から中年まで、広い層の劣情を刺激した。
直後に石井隆が鮮烈な登場を飾ったとき、あの『がきデカ』の作者である山上たつひこは「うーむ、石井隆はすごい。榊まさるもすごいが、石井隆はもっとすごい」と作中で呟いた。
それまでの青年コミック誌は、一流が「ビッグコミック」「漫画アクション」「ヤングコミック」。二流は「プレイコミック」「漫画サンデー」などで、残りが三流以下というヒエラルキーが固定していた。
三流、四流になるほど、裸のシーンは多くなる。しかしマンガ家は下手だし、編集者もやる気がないから、裸を描いてもエロくない。お色気コミック、ピンク漫画という呼称がぴったりの、時代遅れの野暮ったい作品ばかり。
こんなとき「漫画エロトピア」の部数急増は、業界の目を惹いた。さらにこの時期まで、吉行淳之介ふうにいえば俗悪不良誌の最大収入源だった“実話雑誌”の売り上げが急落した。
実話とは名ばかりで、エロな与太記事と、オバさんがセーラー服を着た写真を載せた実話誌は、同時代の風俗から20年遅れていた。