【書評】『あとは死ぬだけ』/中村うさぎ著/太田出版/1400円+税
【評者】与那原恵(ノンフィクションライター)
中村うさぎは、論理の人、ロゴスの人である。リアリストでもある彼女の視線は冷徹ともいえるものだが、そこには言葉を決して疎かにしない「覚悟」がある。
ライトノベル作家としてデビューして人気を博し、さらに家族や女であることを題材にした小説、エッセイを多数刊行してきた。中でも多分野の人物との対談集は、どれも刺激的なラリーの応酬があり、彼女の明晰さ、知性には驚くばかりだ。買い物依存症、ホスト狂い、美容整形などの体験を綴った著作も、私たちが自明のものとしている自我のあやふやさ、世の言説の欺瞞にも気づかせてくれた。
二〇一三年、心肺停止を経験した彼女は本書を〈読者に宛てた私の思考と言葉の形見分けだと考えていただいて結構だ〉という。自身の足跡とともに思考を重ね、「私とは何か」「人間とは何か」を問うていく。
「女とは何者なのか」の一節は鮮やかだ。〈女たちは並列かつ対等な関係性を前提に、主に共感によるコミュニケーションを紡いでいく。他方、男たちはヒエラルキーを作りたがり、上下関係や主従関係という縦列の関係性のもとに、憧憬と保護という相互補完的なコミュニケーションを築く〉と述べ、男女の決定的な差異は子育てに関係するのではないかと論を深めている。
「ゲイから教えてもらったこと」に励まされる読者もいるだろう〈世間が歪んでいることを理解すれば、自分の歪みを負い目に感じる必要もなくなる。この世界に、歪んでいない者など存在しないのだ〉
そもそもこの世界は「現実」なのか。自分が作り出した「妄想」かもしれないのに、自分はなぜ「実在」にこだわるのか、との問いは、哲学で論じられる「実在性」と「現実性」の問題にも通じる。
中村典子(本名)と中村うさぎ(筆名)という〈「行動者」と「記録者」のふたつの人格が車の両輪のように私という一個の人格を支えた〉という著者による人間を凝視した思索は、哲学の領域において語られるべき書かもしれない。
※週刊ポスト2016年9月9日号