今年3月、東海テレビ制作(フジテレビ系)の「昼ドラ」が52年の歴史に幕を下ろした。1964年放送の『雪燃え』を皮切りに作品数は214。お茶の間の主婦に向けて作られ続けた昼ドラは、彼女たちにどんな影響を及ぼしたか。フリーライターの大木信景氏が振り返る。
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昼ドラと聞いて誰もが思い浮かべるのが小沢真珠の顔、いや『牡丹と薔薇』(2004年)に代表される愛憎劇だろう。
小沢が目をひん剥いて言い放つ。「役立たずのブタ!」「あんたなんて牡丹じゃなくてブタよ!」。
嫉妬により「狂牛病が心配だからよ~く焼いたのよ」と夫に出したのは「牛革財布ステーキ」。もちろん夫へのエクストリームな当てつけだった。
美少年をめぐる女同士の争いを描いた1966年の『女の顔』からすでにそうした作風は見られ、70年放送の南田洋子、中尾彬出演の『乱れそめにし』では義理の母子関係である男女が結ばれるという激しい愛が描かれている。
当時は高度経済成長期、亭主元気で留守が良い。とはいえ娯楽も多くもない時代。男と違って刺激の少ない日々を送る主婦にとって旦那が居ぬ間のお昼どきは「いけないこと」を擬似体験するには格好の時間だった。80年代後半には『愛の嵐』『華の嵐』『夏の嵐』と立て続けにヒットドラマを連発、嵐三部作と呼ばれた。以降の東海テレビ作品は、愛憎蠢く「ドロドロ」が主流となっていく。
ヒット作を作るということは視聴習慣を作るということである。昼ドラのように「枠」であればなおさら。昼ドラは主婦の憩いの場で在り続けた。夫や子供がいない時間を使って、非日常感を伴う快楽のモデルを提示した。人の心の闇、醜い部分をデフォルメした昼ドラに、自らの暗い情念を刺激された主婦は多いのではないか。
そしてそれが社会現象として広く知れ渡ると、今度は男たちをも刺激する。つまり、男にとっても「人妻」が都合よき性の対象に映るようになり、共犯関係の前提たる共感関係が成立したのである。昼ドラの罪は大きい。