社会の実情に合わなくなり、機能し亡くなり始めた日本学生支援機構(旧・日本育英会)の奨学金の制度を変更し、給付型奨学金の導入を安倍政権が検討している。経営コンサルタントの大前研一氏は、そもそも給付型導入の前に、稼げない教育しかしていない大学教育の責任を問うべきだと考えている。奨学金拡充のために税金を投入する前に、何をすべきかについて大前氏が提案する。
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税金を注ぎ込む前に国ができることはまだまだある。たとえば毎年800億円を超えるとされる「休眠口座」(取引が長期間ないまま放置されている口座)に残っている預貯金を若い人たちのベンチャー企業を支援するファンドに活用するとともに、審査を厳しくした上で給付型奨学金の原資として役立てればよい。
あるいは、すでに本連載で何度も言及している個人金融資産1700兆円の活用だ。その多くはリタイアした高齢者が持っているので、「亡くなった時に資産の1割を将来の人材育成のために寄付する」という制度を作り、寄付を申し出た人には以後、所得税や相続税を減免するなどのインセンティブを付ける。そうすれば最大170兆円がじりじりと出てくるはずだから、それを給付型奨学金にしていくのである。
そのくらいは高齢者たちが次の世代のために“肥やし”を撒いてくれてもよいではないか、というのが私の提案だ。
このような工夫をすれば、税金を使って将来世代から借金しなくても給付型奨学金は実現できる。1943年に設立された旧・日本育英会の奨学金制度は、国民の大半が同じような貧しい環境の下で育ち、しかも大学の数も大学まで進学する人数も少なく、大学を卒業して企業に就職すれば必ず昇進・昇給があった時代にできたものであり、すでに歴史的な役割は終わっている。
したがって日本は大学も奨学金制度も根本から作り直し、能力と向上心がある学生の背中を強く押すための新たな施策を打ち出さねばならない。そこまでやって初めて奨学金というものの意義が生まれるのだ。
※週刊ポスト2016年9月16・23日号