他の誰も演じることのできないドラマ、だった。広島カープ25年ぶりのリーグ優勝に貢献したエースについて、MLBに詳しいスポーツジャーナリストの古内義明氏が述懐する。
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何かを成し遂げた男の涙は、素敵すぎる。
四半世紀ぶりのリーグ優勝が決まって、3塁側ベンチから一番最後に出てきた黒田博樹が、歓喜の輪に加わった。同じように古巣に戻ってきた新井貴浩と抱擁した瞬間から、黒田の涙が止まらなくなった。
2006年シーズン最終戦。メジャーか、カープ残留か、で揺れ動く黒田に対して、広島市民球場のライトスタンドに上がった横断幕にはこう書かれていた。
「我々は共に闘ってきた 今までもこれからも・・・ 未来へ輝くその日まで 君が涙を流すなら 君の涙になってやる カープのエース 黒田博樹」
メジャーでは西のドジャース、東のヤンキースという名門球団で投げた。勝利に飢えたファン、そして辛辣なメディアが手ぐすねを引いて待っていたが、黒田の安定した働きぶりはすぐに彼らの心をつかんだ。それは工場で黙々と働く労働者にたとえて、「まるでブルーカラーのような働きぶり」と評価された。大金をもらい、成績も残さず、文句ばかり言う選手とは正反対の準備を怠らないベテランの姿勢は首脳陣から「お手本」として受け入れられた。
メジャー最終年。7年間で白星を79勝も積み重ねた男の評価はうなぎ登りだった。メジャーの晩年は、オフに1年契約を結び、「いつ辞めてもいい」を繰り返す完全燃焼スタイルを貫いていた。
ヤンキースから再契約を熱望され、パドレスからは1800万ドル(約21億円)もの巨額オファーが提示された。お金か、それとも、生き様か。プロであれば、揺れ動いて当然。この答えに、正解はない。
毎年シーズンオフになると、巨額なマネーが飛び交うメジャーのストーブリーグで、自分に対する正当な評価、つまり、より高額な年俸を選ぶのは当たり前のセオリーだ。だから、5分の1以下の年俸提示を選んだ黒田の決断は、「unbelievable!(あり得ない!)」と、メジャー関係者から驚きの声をもって受け取られた。