インタビュー場所の一室でチノパン&黒シャツ姿の青年は「今日はよろしくお願いします」と深く頭を下げ、笑顔を見せた。彼の名は、尾崎裕哉(27才)。伝説のシンガー・尾崎豊(享年26)の一人息子である。
8月23日に自叙伝『二世』(新潮社)を上梓し、単独コンサートを開催。メジャーデビュー直後の気鋭の歌手が、これまでの人生を語った。
「正直、最初は本を書く気はなかった。自叙伝は成功者しか書いちゃいけないと思っていたから。でも、チャンスを与えられたなら生かすべきではないかと考え直し、人生の中間報告をしようと思いました。自分がどう育ち、何に悩んできたか。読んだ人に何か伝われば、と思ったんです」
4年をかけて書き上げたという同書が話題を呼ぶ理由は、裕哉が全ての過去に正直に向き合っているからだ。1994年夏、5才だった裕哉は、日本の喧噪を離れ、母親とアメリカ・ボストンへ移住する。父の死から2年後のことだった。だが、裕哉にはその時の記憶はおぼろげにしかない。
「父と一緒に過ごした記憶はありませんし、アメリカへも、なぜ行くのかわかっていなかった。隣近所に行く感覚でした」(裕哉。以下「」内は同じ)
渡米直後は英語が話せず、通学先の学校では人種差別も受ける波乱の日々だった。しかし、遠く離れた異国ゆえ、「尾崎豊の息子」という事実を意識して暮らすことはなかった。ある時、韓国人留学生が、「母国でこの歌が流行っている」と、尾崎豊の代表曲『I LOVE YOU』を聞かせてくれた。「これは、僕の父親の歌なんだ」と伝えると、ポカンとしていたという。
「僕自身は漠然と父が有名歌手であることは知っていました。幼少期から父のマネをしていたらしく、まるで自分のコンサートのようにカーテン裏から飛び出してギターをかき鳴らすパフォーマンスみたいなことをやっていたらしくて。僕は全く覚えてないんですけど(笑い)」
彼が“父の死”と対面したのは、10才の時。一時帰国した際、祖母宅で一冊の写真週刊誌を発見した。
《痣だらけの父親が載っていた。僕はその写真を目に焼き付けようとした。息子だからこそ覚えておかなければならないと責任のようなものを感じていた》(『二世』より。以下《》内は同じ)
父のことを知りたい──。思春期を前にしてそんな思いが芽生えた。小学6年生になると父の楽曲の虜になった。
《家のCDラックにあるものを片っ端から聞いていった。(中略)この頃、父親と僕の間に一つの共通点があることに気づいた。声だ》
部屋で父の曲を熱唱する。ピッチ感、ビブラート、息づかい、全てがシンクロした。
《自分が歌っているように錯覚した。大好きだった父親になれる気がして歌うことがどんどん楽しくなっていった》
今年7月、『音楽の日』(TBS系)でテレビに初出演した裕哉が『I LOVE YOU』を披露すると、「生き写しだ」と話題になった。父から受け継いだ歌声は、小さな頃から発揮されていたのだった。
※女性セブン2016年9月29日・10月6日号