元機械メーカー勤務の重田豊氏(68・仮名)は今春、40年近くを過ごしてきた5LDKの自宅を捨てた。
「元の家から歩いて数分ほどの場所にある月12万円の賃貸マンション(2LDK)に引っ越しました。子供が独立して以降、自宅の2階は妻がベランダに洗濯物を干しに行く以外に上がることもなく、物置状態だった。引っ越し先は老夫婦にはちょうどいいサイズです。妻も掃除がラクになったと上機嫌で、普段の会話も増えました」
重田氏の現在の収入は、夫婦合わせて月26万円の年金のみ。持ち家時代にはなかった年間144万の家賃負担は大変かと思いきや、そんなこともないと笑う。
「自宅があった時は、年40万円の固定資産税に、メンテナンス代もかかっていた。自宅を売却して得た1000万円近くのキャッシュで、万が一の時の入院・治療費は確保できたし、毎月2万~3万円程度なら生活費の補填に回せる余裕もできた。ゆとりが生まれたので、趣味の釣りを再開し、妻と渓流巡りを楽しんでいます。何より大きいのは、自宅をこの先どうしていこうという心配から解放されたことです」(同前)
家を捨てたことで、生活にも気持ちにも余裕が生まれたという人は意外に多い。
とはいえ、慣れ親しんだ家を手放すことに不安や葛藤が生まれるのも事実だ。家を離れた子供たちに対する親心として、帰る拠り所として、そして子供に遺す財産として、家を持ち続けたいと考える人も少なくない。
だが、その考え方には大きなリスクがあると指摘するのは、相続問題に詳しい税理士でエクスプレス・タックス株式会社代表取締役の廣田龍介氏だ。
「夫婦2人で住み続けた持ち家は、本人たちの遺志に反して、相続時に子供たちの諍いの元になるケースが多いんです。子供たちはみな独立してそれぞれ自分の家があるわけですから、その家は廃屋になるだけでほとんどが売られることになる。誰かが住むにしても、不動産を含む遺産の分割は複雑です。その取り分をめぐってトラブルになりやすいのです。
多くの場合、家の処分は親が売るのか子供が売るのかという違いでしかない。それならば、あなた自身が持ち家を売ることを提案しています。今の暮らしにあった使い勝手のいい家に住み替えて、余剰資金を残りの人生を楽しむために使ったらどうですか、と」
自宅の売却資金は、他にも、老人ホームや介護施設の入居資金に充てることもできる。貴重な余生の原資になり得るのだ。
※週刊ポスト2016年9月30日号