「総理になれなかった男」という形容が、これほど相応しかった政治家はいない。自民党幹事長や官房長官を歴任した加藤紘一・元衆院議員が9月9日、死去した。77歳だった。次期首相候補と目されながら、2000年に当時の森喜朗・首相の退陣を求めた「加藤の乱」が失敗に終わったことで失脚し、その夢は幻と消えた。
しかし、加藤氏には遺志を継ぐ政治家がいる。娘の加藤鮎子・衆院議員である。2014年の総選挙に加藤氏の後継者として出馬し初当選、現在は自民党若手のホープとして期待されている。尊敬する父の死に際し、
「父はしっかり根を張り、大地を高い所からも見渡すことができる、巨木のような政治家だった」
と報道陣を前に毅然と答え、さすがは加藤氏の愛娘との声が上がった。ただし、一部の記者からは、「元後継者はどうしたんだ」という囁きも漏れ聞こえた。
加藤氏の元後継者……それは「ゲス不倫代議士」こと宮崎謙介・元衆院議員である。妻である金子恵美・衆院議員の妊娠中に育休取得をアピールしながら、出産直前に不倫が発覚し議員辞職した経緯は記憶に新しい。
実はこの宮崎氏、2006~2009年までは加藤鮎子氏の夫だった。当時を知る政界関係者が語る。
「宮崎は結婚当時、加藤姓を名乗った時期もあり、地元の山形では宮崎が紘一先生の後継として出馬するのではないかと噂されていたんです。ただし離婚で話は立ち消えになり、その後宮崎は公募で出馬し政界入りしました。以降、紘一先生の前で宮崎の話はタブーになり、鮎子さんにしても、親しかった金子議員が再婚する際に『あの人だけは止めた方がいい』と反対したほどでした」
とはいえ、宮崎氏にとって紘一氏は元義父にして、政界を目指すきっかけとなった人物。余計なお世話と思いながらも加藤氏に聞くと、「(葬儀の)案内はしませんでした」(加藤事務所)とのことだった。
「真実一路」を座右の銘に掲げて総理の椅子に限りなく近づいた男と、「ゲス批判」にまみれて政界を退場した男。スケールの違いから故人の偉大さを推し量るのは、あまりに失礼か。
※週刊ポスト2016年9月30日号