自らの「死」についてもっと深く考えたい──そうした気持ちの発露だろうか。9月11日に東京・大田区で開かれた「終活フェスタ2016in東京」には、前年の倍近い3000人を超える来場者があった。
「入棺体験」のコーナーでは60~70代と思しき来場者が次々と棺に収まり、しばらくしてから出てくると神妙な顔つきで、「死んだら、本当に“あっち”には何も持っていけないんだな」などと一人つぶやく。
遺品整理や相続、墓、生命保険などの解説ブースにも人だかりができていた。主催した一般社団法人・終活カウンセラー協会の担当者は自らの死について考えようという人が増えていることを「後ろ向きな現象と捉えるべきではない」と説明する。
「終活というと、単に葬式の準備と思われる方も多いと思いますが、決してそうではない。自分の死と人生の在り方を見つめ直すことで、“今を自分らしく生きる”ことにつながる活動であると私たちは考えています」
住まいや食生活、ライフスタイルなどのちょっとした選択の違いで、いざ死に直面する際の状況には、大きな格差が生まれる。だとすれば、「どう死ぬか」を考えることは、まさに「どう生きるか」を考えることと表裏一体なのである。
他のメディアに目を向けても、本誌の「苦しまない死に方」特集の後を追うように『週刊東洋経済』などのメディアで「死に方」について大きく取り上げられている。いたずらに健康長寿ばかり志向することに、より多くの人が疑問を抱き始めたということでもあるだろう。
痛くない死に方、後悔しない死に方、そして周囲の大切な人に迷惑を掛けない死に方──人生の最期をよりよく締めくくるために、どんな準備が必要なのか。もっともっと、深く考えていきたい。
※週刊ポスト2016年10月7日号